2話 紛失届

翌朝、私はいつもより早く目を覚ました。

窓の外では、港へ向かうトラックの音が低く続いていた。まだ空は白みきっていない。網戸の向こうから、夜のあいだに湿り気を増した潮の匂いが入り込み、畳の上に薄く溜まっているようだった。

眠りは何度も途切れた。物音がするたびに目を開け、書斎の戸棚に箱が戻っていないことを確かめた。戻っているはずがないと分かっていても、身体は確認を求めた。

夫は台所で湯を沸かしていた。やかんの蓋がかすかに鳴っている。

「警察へ行くのか」

「行きます」

「朝飯を食べてからにしろ」

「食べます」

「昨日から、返事が二つしかない」

「必要な返事はしています」

夫は振り返らず、湯呑みに茶を注いだ。私の朱塗りの湯呑みは、いつもの位置に置かれている。昨夜、私が直した場所のままだった。

「日記がなくなったことは、まだ誰にも言っていない」

「警察には言う」

「そうじゃない。図書館の人たちには、という意味だ」

私は湯呑みの縁に指を添えた。熱がじんわり皮膚へ移る。

「言わないほうがいいと思う?」

「俺が決めることじゃない」

「でも、あなたはそう思っている」

「思っている。日記はお前のものだ。誰に見せるかも、お前が決めればいい。ただ、盗まれたものを盗まれていないことにすると、あとで自分が困る」

夫はそこで初めて私を見た。

「お前は、そういうことを一番よく知っているだろう」

私は返事をしなかった。

夫はいつも、私が聞きたくないことを大きな声で言わない。言わないまま、逃げ道のない場所へ置く。四十年近く一緒にいると、相手の沈黙の置き方まで分かってしまう。

朝食を終え、私は薄い上着を羽織った。玄関で靴を履くと、夫が背後から小さなタオルを差し出した。

「風が出ている。汗をかく」

「ありがとう」

「帰りに図書館へ寄るなら、電話をくれ」

「寄るとは言っていない」

「言わなくても寄るだろう」

私はタオルを受け取った。洗いたての布から、洗剤の匂いがした。鞄の中へしまう前に、端を一度だけ揃えた。

地元署までは、港へ抜ける道を歩いた。

朝の商店街は、昨夜の賑わいをすでに片づけ始めていた。店先には濡れた段ボールが積まれ、魚屋の前では氷を割る音がしている。干した網が路地の上に渡され、風を含んでゆっくり揺れていた。網から落ちた水が石畳に黒い点をつくり、そのひとつひとつが朝の光を鈍く返している。

私は歩きながら、昨夜の書斎を思い出していた。

箱のあった空白。鍵。紙。一行の文字。

家の中から物がなくなっただけなら、届け出に必要なのは品物の特徴と、なくなった時刻だ。だが、私にはそれ以外のことも話さなければならない。箱の中に何が入っていたか。日記をいつから書いていたか。なぜ、誰かがそれを持ち去ると思うのか。

誰かが持ち去ったと思う理由を、私はまだ自分でも整理できていなかった。

署の窓口で名前を告げると、しばらくして佐伯亮一が現れた。四十代半ばに見える男で、髪は短く、紺色のシャツの襟を何度も指で直す癖がある。私とは以前、図書館の防犯訓練で顔を合わせたことがあった。返却された財布の拾得届を出したときにも、彼が対応した。

「倉橋さん、お待たせしました。こちらへどうぞ」

案内された机には、白い用紙と黒いボールペンが置かれていた。佐伯は私の向かいに座り、メモを取る前に一度だけ黙った。

「なくなったものは、木箱ですね」

「日記箱です」

「木製の箱に、三十年分の日記が入っていた」

「はい」

「最後に確認したのは、昨日の夜。ご自宅に戻られて、書斎へ入ったとき」

「料理屋を出たのが九時少し前です。家に着いたのは九時二十分頃。書斎へ入ったのは、そのすぐあとでした」

「ご家族は」

「夫が居間にいました。ただし、書斎には入っていません」

「昨夜、ご自宅へ来た人は」

「いません」

佐伯のペン先が止まった。

「窓や勝手口の施錠は」

「確認しました。書斎の窓は内側から閉まっていました。勝手口も同じです」

「箱の鍵は?」

「机の上にありました」

「箱を開けるための鍵が、箱とは別に残っていた」

「はい」

「鍵の傷や、錠を壊した跡は」

「ありません」

佐伯は用紙の端を指で押さえながら、眉間に薄い線をつくった。

「箱の中身について、もう少し詳しく伺ってもいいですか。日記以外に何か入っていましたか」

「三十年分の日記です。最初の数冊は大学ノートで、その後は綴じた日記帳です。日付はすべて表紙の裏に書いてあります」

「金銭や貴重品は」

「入れていません」

「では、日記以外のものは」

「ありません」

佐伯は私を見た。疑っているというより、答えの置き場所を探している目だった。

「日記の内容に、特定の人物を傷つけるような記述がある可能性はありますか」

「可能性ではなく、日記には日々のことを書いています」

「日々のこと、ですか」

「図書館で受け取った資料のこと。夫の体調。季節のこと。町で起きたことも、必要だと思えば書きます」

「三十年前の出来事も?」

声は穏やかだった。

私は、机の上の用紙を見た。紙の繊維が光を吸い、白さの中に細かな凹凸を見せている。記録用紙は、何も知らない顔をしている。

「書いているものもあります」

「内容を確認することはできますか」

「箱が戻れば」

「そうですね」

佐伯はすぐに頷いた。私の答えを否定しない。その慎重さが、かえって胸に触れた。

「机の上には、メモが残されていました」

私は鞄から、透明な袋に入れた紙を取り出した。自宅で触れたあと、これ以上触れないようにしたものだ。佐伯は袋を受け取り、表面を見た。

「『三十年分、あなたは見て見ぬふりをした』。この文を、誰かに言われた覚えはありますか」

「ありません」

「思い当たる人物は」

「ありません」

「本当に?」

その問いは責める調子ではなかった。だからこそ、私は答えに迷った。

「思い当たるという言い方をするなら、町には昔から、話したがらない人が多くいます。ただ、誰がこの紙を書いたのかは分かりません」

「筆跡に心当たりは」

「ありません。私は人の字を覚えるほうですが、この字は見覚えがない」

佐伯は紙を机の中央へ置いた。

「正直に言うと、現時点では家の中で起きた紛失に近い扱いになります。出入りの形跡がなく、盗まれたものも現金や通帳ではない。日記箱そのものに価値があると分かっている人が、家の中にいた可能性はありますが……」

「紛失ではありません」

私の声は、自分で思っていたより低かった。

佐伯が顔を上げる。

「箱は、なくなったのではなく、持ち去られました」

「倉橋さん、もちろん、メモがある以上、単なる置き忘れとは考えていません。ただ、捜査の手順として、まずは家の中の確認を――」

「私は、三十年分の日記を毎年同じ場所へ収めてきました。箱を別の場所へ移したことはありません。昨夜、戸棚の中をすべて出して確かめました。箱以外のものは、元の場所にありました。鍵は机の上です。これは、紛失ではありません」

佐伯はペンを置いた。

「分かりました。紛失届ではなく、盗難の可能性を含めて相談を受けた、という形で記録します。ただ、正式に事件として扱うには、もう少し確認が必要です。箱の中身が私的な日記である以上、第三者にとっての財産的な価値が見えにくい。だからといって、倉橋さんにとって軽いものだとは思っていません。そこは誤解しないでください」

「軽いとは思っていません」

「はい」

「でも、軽いと思われることが問題なのです」

佐伯は返事をしなかった。

そのとき、廊下から足音が近づいてきた。早いが、乱れてはいない。扉が開き、藤野真帆が顔を覗かせた。

「失礼します。倉橋さん、こちらでしたか」

「藤野さん、どうしてここへ?」

「昨日の退職手続きの書類に、確認が必要な箇所があって。図書館へ伺ったら、佐伯さんがこちらだと」

真帆は机の上の透明袋に目を止めた。紙を覗き込もうとはしなかったが、視線が一度、文字の上を走った。

「日記の件ですか」

「はい」

「箱がなくなったそうです」

「誰から聞きました」

「佐伯さんの顔です。聞かなくても分かります」

佐伯が苦笑した。

「そういう読み方は、警察官には向いていませんね」

「記録には向いています」

真帆は私の隣の椅子を引いた。座る前に机の上の用紙を端で揃え、置かれていたペンを縦に直した。無意識の動作なのだろうが、その速さが私には見慣れたものに思えた。

「倉橋さん、日記箱がなくなったのは、退職祝いの夜ですね」

「そうです」

「では、昨日の文集を見せてください」

「なぜ文集を?」

「昨日、会場で倉橋さんに渡されたものです。さっき図書館で、記念文集の控えを確認しました。倉橋さんが持ち帰ったものには、頁が一枚ありません」

私は鞄から文集を取り出した。夫に言われたとおり、朝のうちに持ってきていた。表紙は昨夜のまま少し潰れている。真帆は手袋を取り出し、頁をめくった。

最初の数頁は、退職を祝う言葉と写真だった。館長の挨拶、同僚たちの寄せ書き、私が整理を担当した郷土資料の一覧。真帆の指が、途中で止まった。

「ここです」

見開きの中央に、綴じ糸の影だけが残っていた。頁番号は、二十七の次が二十九になっている。

「抜けています」

「印刷の落丁では?」

「違います。落丁なら、糊の付着が頁の内側に残ります。でもこれは、綴じたあとに抜かれている。糊が乾いた上から、紙を引き抜いた跡です」

真帆は頁の端を示した。そこには、紙を引き抜いたときにできる細い毛羽立ちが残っていた。私は目を近づけた。確かに、二十七頁と二十九頁の間だけ、綴じ糸の張りが変わっている。

「昨日の夜、気づかなかった」

「気づく必要がなかったからです」

「どういう意味ですか」

「倉橋さんは、渡された文集をその場で読む人ではない。表紙と頁数の確認はしても、内容の連続までは見ない。だから、抜かれた頁は昨日の会場で抜かれたとは限りません。もっと前に抜かれていて、誰も気づかなかった可能性があります」

佐伯が文集を覗き込んだ。

「抜けた頁には、何が書かれていたんですか」

「控えには、港祭りの古い写真を載せる予定だったとあります。それと、図書館へ寄贈された資料についての短い紹介文」

「三十年前の港祭り?」

「正確には、三十年前の夏祭りに撮影された写真です」

真帆は方眼ノートを開いた。細い文字が斜めに並び、日付と頁番号が色分けされている。

「原稿の控えは全部残っていません。ただ、印刷所へ渡す前の目次には、二十七頁に『港祭りの記憶――寄贈資料から』とあります。そこに写真が一枚。撮影者は片瀬写真館。寄贈者名は、空欄になっています」

私は喉の奥が狭くなるのを感じた。

片瀬写真館。立花栄太。

昨夜の料理屋で、名札のない花を見た。誰からの花か、私は確かめなかった。立花が祝いの席へ寄越したものだと、周囲が何気なく言っただけだった。

「寄贈者名が空欄というのは、登録されていないということですか」

佐伯が尋ねた。

「登録されていないなら、目録にも空欄のまま残ることがあります。でも、この資料には別の記録があります。寄贈受付の控えに、名前を書いた跡だけがあるんです。消したというより、上から何かを塗っている。紙の厚みが一箇所だけ違う」

「誰が消したかは」

「まだ分かりません」

真帆はそこで私を見た。

「倉橋さんは、この資料を覚えていますか」

「寄贈資料は多くあります」

「そういう答えではなくて」

「覚えていません」

「本当に?」

私は真帆の目を見た。若い目だった。正しさを急ぐ目でありながら、相手の痛みの場所を探っている目でもあった。

「私は四十年、資料を受け取りました。すべてを覚えているわけではありません」

「でも、寄贈者名を消した記録を扱った可能性はあります」

指先が、膝の上で固くなった。

「可能性という言葉で、私を疑っているのですか」

「疑っているのではありません。記録の中に、倉橋さんの手が入っているかもしれないと言っています」

佐伯が静かに息を吸った。

「藤野さん、今は盗難の届け出の話を――」

「日記が消えたことと、文集の頁が抜かれたことが別々なら、そう扱えばいいと思います。でも、どちらも記録の一部だけがなくなっている。しかも、三十年前の港祭りと、寄贈者名に関係している。偶然だと考えるほうが難しいです」

真帆の声は早くなっていた。

「記録は、全部残っているか、全部消えているかだけではありません。誰かが一枚だけ抜けば、その前後の意味まで変わる。名前だけ削れば、資料の出どころが消える。日記箱を持ち去れば、書かれた内容だけでなく、倉橋さんが何を残し、何を書かなかったかも、他人が勝手に解釈できるようになる。だから、これは単なる私物の紛失ではないと思います」

「藤野さん」

私は彼女の名前を呼んだ。声を出す前に、息を整えた。

「あなたは、私が何かを隠していると思っていますか」

真帆はすぐには答えなかった。眼鏡の位置を直し、抜けた頁の端を指で押さえた。

「隠している、という言い方は正確ではありません」

「では、何ですか」

「倉橋さん自身が、見ないことにしたものがあると思っています」

佐伯がペンを持ち直した。

私は机の上の文集を見た。頁と頁の間にある、細い空間。紙を一枚抜いただけなのに、綴じ糸の張りが変わっている。そこにあった文章を読めなくしただけではない。前後の文章が、別の順序でつながってしまう。

「私が見ないことにしたものを、あなたは知っているのですか」

「知りません。だから調べたいんです」

「調べることで、誰かが傷つくかもしれない」

「傷つくことを避けるために、記録を抜いた人がいる。たぶん、その人は自分では優しいことをしたつもりだったと思います」

「たぶん、では話せません」

「そうですね。だから確認します。記録を戻して、誰が何をしたのかを確かめる。分からないまま、傷つくかもしれないという理由だけで閉じるのは、保存ではなく封印です」

真帆の言葉は、若さの勢いだけではなかった。彼女自身が、何度も同じ空白の前に立ってきた人間の声だった。

佐伯がゆっくりと用紙を私のほうへ回した。

「倉橋さん。盗難については、こちらで受理します。家の中の状況を確認し、メモと箱の特徴も記録します。文集の頁については、必要なら図書館側の記録も照合します。ただ、私から一つお願いがあります」

「何でしょう」

「この件を、倉橋さん一人で調べないでください。日記を取り戻したい気持ちは分かります。でも、相手が誰か分からない以上、直接会いに行くのは避けてください。思い当たる人物が出てきても、先に私へ連絡を」

私は佐伯の顔を見た。彼は正しい順序を守ろうとしている。だが、その順序の外側で、すでに三十年分の記録が動かされている。

「警察に任せるだけでは、足りないと思います」

「そう感じるのは理解しています」

「私の記録を、私より先に他人が調べている」

「だからこそ、無理に踏み込まないでください」

「無理をしているように見えますか」

「見えません。見えないから、心配しています」

佐伯はそう言って、机上の書類を揃えた。

「落ち着いている人ほど、限界を越えたことに気づくのが遅い」

その言葉に、私は反論できなかった。

署を出ると、陽射しはもう高くなっていた。潮風は朝より強く、干した網が頭上で大きく膨らんでいる。真帆が隣を歩いていた。彼女はノートを胸に抱え、何度も眼鏡の位置を直している。

「先ほどは、余計なことを言いました」

「余計ではありません」

「でも、倉橋さんを追い詰めました」

「追い詰められたとは思っていません」

「そう言うと思いました」

真帆は足を止めた。背後で、トラックの荷台が閉まる音が響いた。港のほうから、魚と油と濡れた木の匂いが一度に流れてくる。

「倉橋さん。私は、あなたを責めたいわけではありません」

「分かっています」

「分かっていない顔です」

「私の顔は、あなたが思うほど分かりやすくありません」

「そういうところです」

真帆は少しだけ息を吐いた。

「記録を扱う人は、記録の外へ出るのが苦手です。資料なら、欠けた部分を欠けたまま表示できる。でも、自分の記憶が欠けていると、その欠け方を誰にも見せたくなくなる。倉橋さんがそうだと言っているわけではありません。ただ、昨日の退職祝いで、あなたは日記を書いていることを話さなかった。三十年分の記録があることを、私は知っていました。でも、ほかの人たちは知らないふりをしていた」

「知っていたのは、あなたですか」

「私だけではありません」

「誰が」

真帆は答えず、商店街の角にある古い掲示板を見た。祭りの案内や、町内会の清掃日程が何枚も重なって貼られている。いちばん下の紙だけが新しく、画鋲の位置もほかと違っていた。

「これから図書館へ行きましょう」

「地下書庫ですか」

「はい。退職したばかりの人に、さっそく仕事を頼むのは気が引けますけれど」

「もう職員ではありません」

「では、元職員として」

「それも、返したはずです」

「鍵は返しても、記憶まで返却できるわけではありません」

私は掲示板の紙を見た。新しい紙の下から、古い紙の端が一枚だけ覗いている。誰かが上から貼り重ねたのだろう。私は手を伸ばさなかった。

代わりに、真帆のノートを見た。

「地下書庫には、何がありますか」

「三十年前の寄贈記録と、閉架の閲覧台帳です。閲覧者の名前が伏せられているものもあります」

「なぜ、それを今調べるのですか」

「昨夜、文集の控えを見ていたら、抜けた頁の原稿が、地下書庫の資料番号を引用していたからです。資料番号は残っていました。でも、その資料を最初に持ち込んだ人の名前だけがない」

「その名前が、三十年前の夜に関係している」

「まだ分かりません」

真帆はノートを開き、斜めに並んだ文字を私へ見せた。資料番号、寄贈年、閲覧日。三十年前の夏にだけ、同じ資料を異なる人物が何度も閲覧している。

「一つの資料を、朝と夕方に別の人が見ています。申請の間隔が短すぎる。しかも、鐘が鳴る時刻の前後に集中している」

「鐘の時刻」

「港の防波堤の鐘です」

胸の奥で、何かがわずかに鳴った。

私は三十年前の夜を、まだ思い出せない。けれど、鐘の音だけは知っている。耳で覚えているのではなく、身体のどこかに沈んでいる。

「行きましょう」

私は言った。

真帆が顔を上げる。

「地下書庫へ?」

「はい。箱を持ち去った人が誰であれ、日記を探す前に、私が何を見なかったのかを確かめます」

言葉にした途端、喉がひどく乾いた。私は鞄から夫のタオルを取り出し、汗ばんだ首筋を押さえた。布の繊維が肌に触れ、わずかな安心が戻ってくる。

港の向こうで、まだ朝の鐘ではない鐘が一度だけ鳴った。

時刻には合わない、短い音だった。

真帆が立ち止まり、海のほうを見た。私は音のした方向へ顔を向けたが、堤防は建物の陰に隠れて見えない。

見えないものは、見なかったこととは違う。

その違いを、私はまだうまく言葉にできなかった。けれど、書斎に残された一行の紙を、もう一度自分の机へ置き直すように、私は地下書庫へ向かう道を選んだ。

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