第10話 生贄のシステム
翌日、僕が再び海風図書館の重い扉を押したとき、世界はまるで分厚い紗のかかったモノクロ写真のように色を失っていた。古賀宗介さんは、僕が来るのを予期していたかのように、カウンターの奥から静かに現れた。彼は何も言わず、ただ目で僕を促し、普段は鍵が下ろされている「閉架書庫」と書かれた扉へと導いた。
カビと古い紙、そして忘れ去られた時間の匂いが混じり合う空気が、僕の肺を満たす。迷宮のように入り組んだ書架の間を抜ける彼の背中を、僕は夢遊病者のように追いかけた。彼の足音だけが、この静寂の聖域に許された唯一の音だった。やがて彼は、部屋の最も奥まった一角で足を止め、埃をかぶった分厚い和綴じの冊子を台の上に置いた。それは、この霧ヶ崎という町の最も古い戸籍台帳だった。
「君が探している答えは、おそらくここにある」と古賀さんは言った。「だが、覚悟はいいかね、相田君。真実というのは、時に我々がよすがとしてきた柱を根こそぎ腐らせる白蟻のようなものだ。それを知った後、君はもう以前と同じ場所には立っていられない」
僕は無言で頷いた。彼の言葉は、まるで深淵を覗き込む前に投げかけられる最後の警告のようだった。震える指で、黄ばんで硬くなったページを一枚一枚めくっていく。そこには、墨で書かれた無数の名前と、その関係性が記されているだけだった。意味のある情報を見つけ出すことは、砂浜で特定の一粒の砂を探すような、絶望的な作業に思えた。
不意に、古賀さんの節くれだった指が伸びてきて、ページのある一点を静かに指し示した。そこには、他の記述とは明らかに異なる、朱色の小さな文字で注釈が書き加えられていた。
「水瀬」。
その姓の横に、僕は信じられない言葉を見つけた。「身代わりノ役ヲ負ウ一族ナリ」。
血の気が引いていくのがわかった。頭の中で、バラバラだったパズルのピースが、恐ろしい絵を形作りながら一気にはまり込んでいく。青い蝶の万年筆。彼女が時折見せる、すべてを諦めたような儚い表情。僕が幼い日に霧の森で出会った少女の記憶。そして、「身代わりの蝶」の伝承。
彼女が「天使」のように見えたのは、なぜか。それは、彼女がこの町のありとあらゆる人々の不幸や不運を、呪われた儀式によってその小さな一身に引き受けていたからだ。彼女の完璧な優しさと笑顔は、僕たちが気づかぬうちにお裾分けしてもらっていた「幸運」の対価であり、その裏側で彼女自身が支払っていた犠牲の現れだったのだ。彼女は天使などではなかった。現代に生きる、最後の「生贄」だったのだ。
僕は愕然として、閉架書庫の丸窓から霧に煙る街並みを見下ろした。いつも見ていた穏やかな港の風景。友人たちが笑い合う教室。僕がヘッドホンで外界を遮断し、退屈だとさえ感じていた平和な日常。そのすべてが、水瀬詩織という一人の少女の、声なき犠牲の上に成り立っていたのかもしれない。
僕はただの観測者ですらなかった。彼女の不幸を養分にして咲く花を、何も知らずに美しいと愛でていた、無自覚な受益者だった。僕が彼女に抱いていた憧れや切なさといった感傷は、残酷なシステムの恩恵を受ける側の人間にだけ許された、贅沢な欺瞞に過ぎなかった。
静かな衝撃が、僕の世界を根底からひっくり返した。立っているはずの地面が、音もなく崩れ落ちていく。今、僕が呼吸しているこの空気さえも、彼女の苦しみから生成された毒のように感じられた。あの時からずっと、僕の物語だと思っていたものは、実は彼女の物語の、ほんの片隅に寄生するエピローグに過ぎなかったのだ。
← 横にスクロールして読み進められます
