10話 王の祝宴と断頭台

# 第2幕 絶頂 ## エピソード5 王の祝宴と断頭台

眼下に広がる光の海は、まるで高橋健司の支配欲を肯定するために、無数の宝石を撒き散らしたかのようだった。東京の夜景を一望するタワーマンション最上階のスカイラウンジ。その特等席で、彼は脚を組み、深くソファに身を沈めていた。役員昇進の内定。社運を賭けた「クロノス・プロジェクト」の成功。すべてが彼の描いた完璧なシナリオ通りに進んでいた。

「見ろ、恵子」

隣に座る伊藤恵子の肩を抱き寄せ、彼はガラスの向こうを顎で示す。

「この光の一つ一つに、必死で生きる凡人がいる。だが、彼らは知らない。自分たちの日常が、俺のような人間の決断一つで動かされていることを。俺は選ばれた。いや、勝ち取ったんだ。父親のような事業に失敗するだけの惨めな男じゃない。俺は歴史を作る側だ。大多数の凡人は、俺のような人間が切り拓いた道を、ただ文句を言いながら歩くだけの存在なんだよ」

その声には、幼少期に味わった貧困と屈辱を乗り越えた者の、歪んだ陶酔が滲んでいた。ファーストボーナスで買った高級腕時計の冷たい金属が、彼の万能感を増幅させる。

恵子はうっとりと彼の横顔を見つめ、片方の口角をわずかに上げて微笑んだ。

「ええ、そうよ、健司。あなたは特別。だから惹かれたの。誰もが道徳だの共感だの綺麗事を並べるけど、結局この世界は単純よ。勝つか、負けるか。ただそれだけ。敗北がどれだけ惨めか、一度も泥水を啜ったことのない人間には到底分かりはしないわ。あなたは勝者。そして、勝者は何をしても許される。それがこの世界の本当のルールじゃない?」

彼女の言葉は、高橋の胸に燻っていた微かな罪悪感の残り火を完全に吹き消す、甘美な毒だった。そうだ、俺は正しい。電車を遅らせた無能な鉄道会社も、俺の時間を奪った凡庸な乗客も、すべては俺の成功のための踏み台に過ぎない。

「乾杯しよう、恵子。新しい王の誕生に」

高橋がシャンパングラスを掲げ、恵子がそれに合わせようとした、その瞬間だった。

テーブルに置かれた彼のスマートフォンが、甲高い通知音と共に、狂ったように振動を始めた。それは、分単位で管理された彼の日常に割り込む、不協和音。苛立ちを覚えながら画面を覗き込んだ彼の目に、見慣れない文字列が飛び込んできた。

『#朝霧中央線の王様』

血の気が引く、という感覚を、高橋は初めて具体的に理解した。指が震える。タップした先に現れたのは、数日前の朝霧中央線のホームに立つ、紛れもない自分自身の姿だった。駅員に指を突きつけ、怒号を浴びせる、剥き出しの傲慢。

動画は爆発的に拡散されていた。再生回数が、更新するたびに異常な速度で跳ね上がる。そして、その下には、匿名性の皮を被った悪意の濁流が渦巻いていた。

『特定はよ』 『こういう奴がいるから日本はダメになる』 『顔覚えた。会社の人間は見てないのか?』 『大手コンサル、タカハシケンジ?』 『死ね』『クズ』『社会的に抹殺しろ』

無数の、顔のない罵声が、スマートフォンの冷たい画面から溢れ出し、彼の鼓膜を、脳を、直接揺さぶる。完璧だったはずの世界に、巨大な亀裂が入る音が聞こえた。

カシャン。

手から滑り落ちたシャンパングラスが、大理石の床で砕け散る。甲高い破裂音は、まるでこれから始まる彼の転落劇の始まりを告げる、不吉なファンファーレのようにラウンジに響き渡った。周囲の客たちが一斉にこちらを向く。その視線が、無数の針となって突き刺さる。

ポケットの奥底で、存在すら忘れかけていた小さな布の塊が、まるでこの時を待ちわびていたかのように、確かな存在感を主張していた。あの朝、忌々しく思いながらも無造作にねじ込んだ、「赤い糸のお守り」だった。それは縁結びの象徴などではなかった。彼の破滅へと続く、運命の連鎖を繋ぎとめる、不吉な呪いの結び目だったのだ。

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