9話 絶望の淵と親友の鈍感な助言

もはや、何度目の今日なのか、僕にはわからない。自室の床に散らばる「過去の選択メモ」の山は、僕の敗北の歴史を積み上げた地層であり、僕という存在が「コレジャナイ人生」から一歩も抜け出せていないことの、あまりに雄弁な証明だった。一枚めくるごとに、黒崎蓮の完璧な笑顔と、それに自然に応える白石葵の姿がフラッシュバックする。僕が何十回とループを重ねてようやく見つけ出した最適解の一手を、奴はまるで呼吸でもするかのように、初手で、いとも容易く繰り出してくるのだ。

「ああ、もう、どうすればいいんだ……」

声に出したつもりのない独り言が、乾いた唇から漏れ落ちる。この無限回廊のような日々の中で、僕の精神は確実に摩耗していた。まるで、終わりのない迷路に閉じ込められた旅人だ。出口を求めて走り続けた結果、体力も、気力も、そして希望さえも尽きかけている。

いっそ、このままでいいのではないか。そんな悪魔的な囁きが、疲弊した脳髄に染み渡る。そうだ、このループする世界では、僕は傷つかない。失恋の痛みも、敗北の屈辱も、リセット・タイムが来れば綺麗さっぱり洗い流してくれる。完璧な成功を収められないのなら、完璧な失敗作として、この完璧に不完璧な人生を永遠にリピートし続けること。それこそが、僕に見出された唯一の「コレダ!人生」なのかもしれない。そんな倫理観の崩壊とも言える思考が、僕の心を支配し始めていた。

「よお、悠真! なんだその顔、世紀末みたいなツラしやがって」

思考の沼に沈みかけていた僕の肩を、背後から遠慮なく叩く腕があった。振り返るまでもない。この世界で、僕のパーソナルスペースにこれほど無頓着に侵入してくる人間は一人しかいない。

「……拓哉か」 「拓哉か、じゃねえよ。お前、最近顔色悪いなんてもんじゃないぞ。ゾンビ映画のエキストラでも狙ってんのか? それとも、また難解な推理小説でも読み漁って、犯人の気持ちに感情移入しすぎたとか?」

斎藤拓哉は、僕とは対照的な太陽のような男だ。今日も流行りの服をそつなく着こなし、その存在自体が「人生楽しんでます」と主張している。彼の陽気さが、今の僕にはひどく眩しかった。

「いや、そういうわけじゃ……」 「まあいい! お前のその悩みの九割九分が、どうせしょうもないことだってのは、幼馴染の俺にはお見通しなんだよ。だがな、親友として、その残り一分の核心について、この俺が、恋愛相談のエキスパートとして、一席ぶってやろうじゃないか!」

拓哉は得意げに腕を組み、いつもの癖で顎に手を当てた。その自信満々な態度は、僕の抱えるループという超常的な苦悩など、微塵も想像していない鈍感さの表れだ。だが、なぜだろう。そのピントのずれた思いやりに、僕は少しだけ救われているような気もした。

「悠真、お前はな、いつもそうだ。考えすぎなんだよ。頭でっかち、理論武装、石橋を叩いて、叩きすぎて、結局は渡らずに引き返すタイプ。違うか? 恋ってのはな、もっと衝動的なもんだろ? 心が『行け!』って叫んだら、理性が『待て!』って言う前に走り出すもんなんだよ。理屈で相手の好みを分析して、完璧なタイミングで完璧なプレゼントを渡す? そんなのは恋愛シミュレーションゲームの中だけの話だ。現実はもっと混沌としてて、もっと熱くて、もっと馬鹿馬鹿しいもんなんだよ! たまには直感でぶつかってみろ! 砕けてもいいじゃねえか! 男は攻めてなんぼだ!」

拓哉の言葉は、まるでマシンガンのように僕の鼓膜を撃ち抜いた。彼の言葉は、僕の悩みの本質を何一つ理解していない。だが、その無自覚で無責任な言葉の奔流が、いつの間にか僕の内側でガチガチに凝り固まっていた思考の壁に、思いがけない風穴を開けていくのを感じた。

「……馬鹿だな、お前は」

僕は思わず苦笑していた。

「おう、馬鹿で結構! 恋する男はみんな馬鹿なんだよ!」

そう言って僕の背中を力強く叩くと、拓哉は「じゃあな!」と嵐のように去っていった。 一人残されたキャンパスのベンチで、僕は空を見上げる。相変わらず空は高く、僕の人生は「コレジャナイ」ままだ。だが、拓哉がこじ開けた風穴から、ほんの少しだけ、新しい空気が流れ込んできたような気がした。

直感、か。僕が最も捨て去ろうとしていた、不確定で非論理的な要素。 もしかしたら、その馬鹿げた衝動の中にこそ、この終わらない迷路の出口が隠されているのかもしれない。

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