第10話 葵の微かな違和感と覚醒の兆し
僕という存在は、もはや一貫性という概念から逸脱した何かだった。あるループでは饒舌な詐欺師のように彼女の好みを語り、次のループでは石化した化石のように一言も発せず、また別のループでは躁状態の道化師よろしく空回りしたジョークを飛ばす。これはもう桜木悠真という個のアイデンティティの崩壊であり、白石葵攻略という名のRPGで、セーブデータをロードするたびに主人公の性格パラメータがランダムに変動する、致命的なバグと言ってもいい。そして最悪なことに、このゲームのプレイヤー兼主人公は、僕自身なのだ。
そんな自己分析、あるいは自己憐憫に浸っていたのは、喧騒が心地よいノイズとして機能する大学のカフェテリアだった。幾度となく繰り返したこの空間で、僕はもはや壁の染みと一体化する術さえ会得していた。しかし、その壁の染みに、太陽がスポットライトを当てる。
「桜木君、こんなところにいたんだ」
白石葵。僕の「コレジャナイ人生」の原点にして、このループ世界の唯一絶対の存在理由。彼女が僕の名を呼ぶだけで、モノクロームの視界に暴力的なまでの色彩が溢れ出す。
「あ、ああ、白石さん。偶然、だね」
僕の口から出たのは、何十回ものループで最適解から弾き出された、最も無難で、最も無価値な言葉だった。緊張で無意識に口元に手が伸びるのを、かろうじて押しとどめる。
彼女は僕の向かいの席に、まるでそれが当然であるかのように、ふわりと腰を下ろした。考え事をする時の癖なのか、艶やかな黒髪をそっと耳にかける。その何気ない仕草が、僕の心臓を不整脈のダンスフロアへと変える。
「桜木君、最近なんだか変だよ?」
来た。直球。いや、これは魔球だ。僕の幾重にも張り巡らせた論理のシールドを、いとも容易く貫通する、純真さという名の徹甲弾。僕の脳内では警報が鳴り響き、思考が明滅を繰り返す。ばれた? いや、まさか。このループは僕だけの秘密のはずだ。だが、彼女のその真っ直ぐな眼差しは、僕の「コレジャナイ」部分を貫通し、僕の「真実」を看破しているかのようだ。恐るべきは、彼女の人間洞察力か、それとも僕の隠蔽工作の稚拙さか。
僕が言葉の迷宮で出口を探していると、葵はさらに言葉を重ねた。
「変、っていうか、ごめん、上手く言えないんだけど……。すごく積極的に話しかけてくれる日もあれば、すごく遠くから見てるだけの日もあって。一生懸命な時と、なんだか諦めちゃってる時と、すごく楽しそうな時と……その、見てるこっちが不安になるくらい、毎日違う人みたいに感じるの。まるで、日替わりランチみたいに、毎日違う桜木君に会ってる、みたいな……。何か、あった?」
彼女の言葉は、僕の積み上げてきた「過去の選択メモ」の全てを否定し、同時に肯定していた。そうだ、僕は変わろうとしていた。アプローチを変え、言葉を変え、態度を変えてきた。それは全て、彼女を攻略するため。彼女の心を動かす「正しい選択」を探すため。だが、その結果生まれたのは、支離滅裂で多重人格的な、得体の知れない「桜木悠真」というキメラだった。
その瞬間、高校時代のあの日の光景が、網膜に焼き付くようにフラッシュバックする。夕暮れの教室。緊張で喉が渇き、心臓が耳元で鳴り響く中、僕は用意してきた言葉を一方的に彼女にぶつけた。彼女の表情も、気持ちも、何も見えていなかった。ただ、自分の想いを成就させたいという、身勝手な欲望だけがそこにあった。
あれは、告白じゃない。自己満足のプレゼンテーションだ。
「……そっか」
僕の口から漏れたのは、そんなか細い声だった。
「僕が、変わらないと、いけないんだな」
それは葵に向けた言葉であり、この果てしないループの中で迷子になっていた僕自身への、初めての道標だった。完璧な攻略法なんて存在しない。僕が変えるべきは、アプローチの方法論じゃない。白石葵という人間を前にした、僕自身の在り方そのものだ。この「コレジャナイ人生」から抜け出す鍵は、彼女を操ることではなく、僕自身が「コレダ!」と胸を張れる自分に、生まれ変わることなのだ。
僕の言葉の真意など知る由もない葵は、不思議そうに小首を傾げた。しかし、その瞳の奥に、ほんの少しだけ安堵の色が浮かんだのを、今の僕には、確かに見えた気がした。
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