8話 時野巡の謎かけと『運命の分岐点』の影

もはや、何回目のループだったか。僕の「過去の選択メモ」は、父親から譲り受けた古びた万年筆のインクで黒く塗りつぶされ、さながら黒歴史を物理的に具現化した黙示録の様相を呈していた。完璧なアプローチ、完璧なタイミング、完璧な会話。それらを追い求めた結果、僕が得たのは完璧なまでの失敗の数々だけだ。この試行錯誤は、もはやデバッグ作業などという生易しいものではない。賽の河原で石を積み上げる鬼のバイトだ。時給も出なければ福利厚生もない、絶望的なまでの徒労感だけが報酬として支払われる、ブラックすぎる労働。

心が折れる、という比喩があるが、僕の心はもはや粉々になり、風に吹かれてどこかへ飛んでいってしまいそうだ。白石葵との接触に今日も失敗し、僕は逃げるように大学近くのカフェのテラス席に陣取っていた。冷めきったコーヒーが、僕の「コレジャナイ人生」を雄弁に物語っている。

その時だった。

予兆はなかった。音もなければ気配もない。ただ、目の前の空間が、陽炎のように一瞬だけ揺らぎ、まるでそこにいることが世界の初期設定であったかのように、一人の少女が僕の向かいの席に座っていた。 時野巡。 彼女は、このループという名の非日常における、最大の非日常だった。

「随分と、お疲れのようですね。桜木悠真」

静かで、温度を感じさせない声。無表情に近い顔には、どこか全てを見透かしているかのような、憂いを帯びた光が宿っている。彼女は白い指先で、テーブルの上、何もない空間をゆっくりとなぞる。まるで、見えない時間の流れを指で梳いているかのように。

「……君は、一体何者なんだ。僕がループしていることを知っているのか? それとも君が、この現象の元凶か? あるいは、僕の精神が生み出した都合のいい幻覚か? 質問に質問で返すのは悪手だと知っているが、僕の頭の中はすでにクエスチョンマークで飽和状態なんだ」

僕は、もはや取り繕う気力もなかった。緊張で口元に手をやる癖すら忘れていた。

「私が何者であるかは、重要ではありません。重要なのは、あなたが何者になろうとしているか、です」 巡は僕の早口な問いを意にも介さず、ゆっくりと、しかし的確に言葉を紡ぐ。 「桜木悠真。あなたはずっと、『完璧な答え』を探している。まるで、この世界が、たった一つの正解を持つ、巨大な論理パズルであるかのように。ですが、それは間違いです」

「間違い……だと?じゃあ、僕がこの『過去の選択メモ』に血反吐を吐く思いで書き連ねてきた、失敗と反省の数々は、すべて無駄だったとでも言うのか!この努力の結晶は、ただの自己満足的な落書きに過ぎないと!?」

「無駄ではありません。それは、答えにたどり着くための、あなただけの地図です。しかし、地図を眺めているだけでは、目的地には着けません。道は、歩き出すことで初めて道となるのですから。……あなたが探すべきは、『完璧な答え』ではありません。きっと、『運命の分岐点』を見つけることでしょう」

『運命の分岐点』。その言葉は、僕の疲弊しきった脳髄に、新たな混乱の種を植え付けた。 「運命の分岐点……。それは何だ? 特定の場所か? 特定の時間か? それとも、白石葵にかけるべき、魔法の言葉か? ヒントを、いや、答えを教えろ! この無限ループから抜け出すための、チートコードを!」

僕の懇願に近い叫びにも、巡の表情は変わらない。彼女はただ、静かに首を横に振った。

「正しい選択は、誰かに与えられるものではありません。それは、あなた自身が見出すもの。答えを求める行為そのものが、あなたを答えから遠ざけています。選択とは、与えられた選択肢から選ぶことではない。存在しない選択肢を、自らの意志で創造すること。それこそが、運命に抗う唯一の方法。……そろそろ、気づくべきです。この物語の主人公は、あなたしかいないという、その事実に」

巡はそう言うと、立ち上がった。僕が何かを言い返す前に、彼女の姿は再び陽炎のように揺らぎ、まるで最初から誰もいなかったかのように、テラス席の喧騒の中に溶けて消えた。

残されたのは、僕と、冷めきったコーヒーと、そして「運命の分岐点」という、途方もなく重い謎かけだけだった。言葉は言葉を生み、言葉は言葉を殺す。あの少女の言葉は、僕の思考という迷宮に新たな壁を築き、同時に新たな扉を描き出した。このループが、単なる偶然やバグではないことを確信させられた今、僕の焦りは絶望的なまでに深まっていた。この『コレジャナイ人生』という名のクソゲーは、どうやら僕が思っているよりも、ずっとタチが悪く、そして、奥が深いらしい。

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