6話 コレジャナイ攻略の始まりと『選択メモ』の奇書化

僕の大学生活は、言い換えれば既視感の連続上演であった。すなわちデジャヴュ・フェスティバル。同じ日の朝に目覚め、同じ講義を受け、同じ顔ぶれとすれ違う。この無限にも思える反復横跳びを、僕は「コレジャナイ人生のデバッグ作業」と定義していた。なんとなれば、このループ能力は、高校時代の初恋、あの白石葵への告白失敗という致命的なバグから始まった僕の人生を、正しいルートへと修正するための、いわば神様がくれたチートツールなのだから。

その日、僕は大学のカフェテリアで、ポケットに忍ばせた羅針盤――否、もはや魔導書か、あるいは奇書と呼ぶべきか――『過去の選択メモ』を握りしめていた。今日のミッションはただ一つ。カフェに立ち寄る白石葵に、新作のフルーツタルトを完璧なタイミングで、完璧な言葉を以て推薦すること。これまでの十数回のループで集積したデータによれば、彼女は午後二時十七分、友人二人と共にこのカフェを訪れ、新作の前で三秒ほど逡巡する。その三秒こそが、僕が介入すべき唯一にして絶対の『運命の分岐点』なのだ。

「今日こそは、完璧なアプローチを仕掛ける」

心の中で反芻する。それは祈りであり、呪いであり、そして最早、自分自身への脅迫に近かった。緊張で乾く唇を舐め、無意識に口元に手が伸びる。この気弱な癖も、そろそろ僕のトレードマークとして定着しつつある。

午後二時十七分。秒針が天を指したその瞬間、世界の彩度が一段上がったかのように、白石葵が友人たちと現れた。太陽光を味方につけた彼女の笑顔は、それだけで一つの完成された芸術作品であり、僕のような観客の存在を許さない神々しさがあった。彼女たちはショーケースの前へ。来た。運命の三秒間が、今、始まる。

一秒。彼女の視線が、目当てのフルーツタルトに注がれる。純情さを具現化したような、ひたむきな眼差しだ。 二秒。彼女の眉が、ほんの少しだけ動く。あれは、カロリーと幸福を天秤にかける、乙女心という名の聖なる葛藤だ。 三秒。今だ!

僕は席を立った。しかし、その刹那、僕の脳内で言葉たちが反乱を起こした。用意していた「このタルト、美味しいらしいよ」という簡潔にして至高のセンテンスが、僕の優柔不断な思考回路の中で、余計な装飾を施され、肥大化し、見るも無惨なキメラへと変貌を遂げていく。

「し、白石さん! そのタルトは、言うなれば午後のけだるさを払拭する一筋の光明、いや、むしろ味覚における革命前夜! 甘酸っぱいイチゴと濃厚なカスタードが織りなす弁証法的なアウフヘーベンであり、君のその太陽のような笑顔にこそふさわしい、存在論的幸福の具現化と言っても過言ではない代物なんだ!」

僕の口から飛び出したのは、もはや推薦ではなく、支離滅裂な演説だった。カフェテリアの喧騒が一瞬、止まった気がした。葵は、大きな瞳をぱちくりさせ、小首をかしげている。その天然の仕草が、僕の心の傷に塩を塗り込む。

「えっと……桜木君? つまり、すごく美味しい、ってこと、かな?」

彼女は、僕の言葉の残骸から、必死に意味を拾い上げようとしてくれている。その優しさが、甘酸っぱい痛みとなって僕の胸を締め付けた。僕は「あ、う……」と意味のない音を発し、脱兎のごとくその場から逃げ出した。

自席に戻り、父親から譲り受けた古びた万年筆を取り出す。そして、僕の奮闘と、成長と、そして心理的疲弊の全てが詰まった『過去の選択メモ』の新たなページに、震える手でインクを走らせた。

【失敗ログ:ループ14回目。作戦名『タルト・レコメンド・ストラテジー』。原因:過剰な言語表現によるコミュニケーション不全。いわゆる『言葉のインフレーション』。考察:『完璧』とは、果たして存在するのだろうか? それは、存在しない完璧を追い求める完璧な不完璧の行進、あるいは、完璧なまでに完璧を欠いた不完全な完璧主義の証明か? 完璧な言葉を紡ごうとすればするほど、言葉は意味を失い、記号の羅列と化す。僕が攻略すべきは白石葵ではなく、この僕自身の、肥大化した自意識という名のラストダンジョンなのかもしれない。】

ページを埋め尽くす、誰に聞かせるでもない独白。このノートは、もはや恋愛攻略本ではない。「いかにして人間は滑稽なまでに間違えるか」をテーマにした、壮大な失敗談集、僕だけの奇書だった。遠くの席で、友人たちと笑い合う葵の姿が目に映る。あの笑顔を手に入れるためなら、あと何度、このコミカルな悲劇を繰り返せばいいのだろうか。

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