5話 トラウマのフラッシュバックとリセット・タイム

大学のカフェテリア。その喧騒は、まるで僕の脳内を直接掻き混ぜるミキサーのようだ。視線の先、ガラス窓から差し込む午後の光を一身に浴びて、黒崎蓮がいた。その隣で、白石葵が楽しそうに笑っている。蓮が何気ない仕草で片眉を上げる。あの自信に満ち溢れた、世界は自分のために回っているとでも言いたげな、彼の得意なポーズだ。完璧に整えられた髪型、流行のシャツ、そのすべてが、僕の「コレジャナイ人生」の対義語として完璧に成立している。

ああ、まただ。何度この光景を繰り返せばいい? 僕が十数回のループを費やしてようやく捻り出した「偶然を装った完璧な挨拶」は、彼の「よぉ」という、まるで呼吸するかのように自然な一言に、塵芥も同然に吹き飛ばされる。これはもう、攻略とか、そういう次元の話ではない。前提条件のバグだ。僕という存在そのものが、この恋愛シミュレーションにおけるデバッグ不能な致命的エラーなのではないか。彼の強さは、どこから来るというのだ。その絶対的な自信は、血の滲むような努力という対価を支払って手に入れたものなのか、それとも、生まれつきの特典(チート)として与えられたものなのか。そして、この胸を蝕む劣等感は、彼の存在が引き起こす必然の化学反応なのか、それとも、僕自身の内包するどうしようもない無能の現れなのか。思考が言葉の迷路を永久に彷徨う。答えなど、どこにもない。

その瞬間、カフェテリアの喧騒がふっと遠のき、視界の隅がぐにゃりと歪んだ。蝉時雨が鼓膜を激しく叩く。蒸し暑い放課後の、あの日の光景。高校の校舎裏。目の前には、困惑した表情の葵がいた。僕は何かを言おうとして、しかし、喉に鉛の塊でも詰まったかのように言葉が出てこない。心臓が喉から飛び出しそうで、呼吸すらままならない。自信のなさ、自己嫌悪、焦り。それらがごちゃ混ぜになった感情の奔流に押し流され、結局僕は、何も言えずに彼女に背を向けて逃げ出したのだ。あの背中に突き刺さったであろう彼女の視線が、今もなお、僕の背骨を焼き続けている。そうだ、あれが原点。僕の「コレジャナイ人生」が産声を上げた、記念すべき、そして呪うべき瞬間だ。

どうやってアパートの自室にたどり着いたのか、記憶がおぼろげだ。冷や汗で湿ったシャツが肌に張り付いて、不快感が全身を這い回る。震える手で、胸ポケットに触れる。そこには、高校時代に葵がこっそりくれた、少し色褪せた手作りの小さなマスコット。初恋の甘酸っぱさを凝縮した純情の結晶であり、同時に、告白失敗というトラウマを起動させる最悪のスイッチでもある。それを強く、爪が食い込むほど強く握りしめた。

床には、僕の愚行の歴史である「過去の選択メモ」の山が散乱している。その一枚を拾い上げ、机に向かう。父親から貰った、手に馴染んだ古びた万年筆。このずしりとした重みだけが、ループを繰り返す不確かな世界で唯一変わらない、確かなもののように感じられた。

新しいページを開き、万年筆のペン先を走らせる。インクが紙に染みていく様は、まるで僕の魂が削られていくようだ。

『失敗パターン:黒崎蓮という変数を、あまりに甘く見ていた。奴は障害物などではない。この世界のルールそのものだ。僕がどれだけ完璧なルートを計算しようと、奴はルートごと世界を書き換える。次回は初手から蓮の行動パターンを徹底的に分析すべし。いや、違う。問題はそこじゃない』

ペンが止まる。震えが、万年筆を伝って紙にまで届く。

『根本的な欠陥は、この僕自身だ。この臆病さを、この優柔不断さを、この「コレジャナイ」という諦観をどうにかせねば、未来など、永遠に開けはしない』

最後の一文字を書き終えた、その刹那。 ぐにゃり、と視界が歪んだ。万年筆が手から滑り落ち、床に硬い音を立てて転がる。激しい耳鳴りが世界を支配し、色彩が急速に失われていく。疲労と絶望が、僕の意識のプラグを乱暴に引き抜いた。 視界が、真っ白に染まる。 これが、抗うことのできない強制終了、「リセット・タイム」。

そして僕は、見慣れた自室の天井を見上げていた。窓から差し込む、いつもと同じ朝の光。体には昨日の疲労など微塵も残っていない。だが、魂に刻まれた敗北の記憶だけは、鮮明に、あまりにも鮮明に残っていた。 この終わらない円環の中で、僕の孤独な戦いは、またしても振り出しに戻る。

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トラウマのフラッシュバックとリセット・タイム - コレジャナイ!人生 - 誰でも作家life