5話 現実の錨、母の胸騒ぎ

【同時刻・現実世界:相葉家】

遠くで鳴り続ける祭囃子が、今はもう浮かれた響きを失い、ただの単調な音の羅列となって相葉美咲の耳を打っていた。大人たちの賑やかな笑い声が飛び交う居間の空気は、彼女の心にだけ届いていない。季節の野菜をふんだんに使った煮物の大皿はすっかり空になり、食卓の上の宴の残骸が、時間の経過を無情に物語っていた。

「あら、美咲さん。どうかしたの?さっきから落ち着かない様子で」

親戚の一人が、燗をつけた徳利を片手に声をかけてきた。美咲は作り笑いを浮かべ、「いえ、なんでもないんです。ちょっと夜風が涼しいなと思って」と取り繕う。しかし、彼女の視線は無意識に、子供たちが座っていた席へと向けられていた。空になった席。陽気にはしゃいでいた陽太、スマホから目を離さなかった樹、どこか影のある表情で黙っていた暦、そして、その間で所在なさげにしていた息子、湊。

「そういえば、子供たちの姿が見えないわね」 「ああ、お祭りを見に行ったんじゃないか?陽太くんがさっき、屋台のリンゴ飴がどうとか騒いでたからな」 「湊くんももう中学生だもんなあ。親と一緒より、友達同士の方が楽しいお年頃だよ」

大人たちの屈託のない会話が、美咲の胸のざわめきを一層かき立てる。違う。何かが違う。彼女は意味もなく立ち上がると、風を入れるために開け放たれた縁側へ向かい、夜の闇に染まる庭を見つめた。ひやりとした夜気が肌を撫でる。心配事が起こると無意識にエプロンの裾をきつく握りしめる、昔からの彼女の癖が出た。指先が、藍色の布地を固く、固く握りしめていた。

昼間、湊に何気なく話した「神隠し」の伝説が、まるで呪いの言葉のように脳内で反響する。この辺りは昔から、星迎えの祭りの夜は、現世と常世の境が曖昧になるのだと。だから、子供は夜更けまで出歩いてはいけないのだと。それは幼い頃に祖母から聞かされた、ただの不吉な昔話のはずだった。

しかし、その記憶は、もっと生々しい別の記憶の扉をこじ開ける。数年前、全く同じ星祭りの夜。甥である暦の弟、アキラが忽然と姿を消した、あの忌まわしい事件。あの夜も、今と同じように祭囃子が鳴り響き、大人たちは酒を酌み交わしていた。そして、気づいた時にはもう、小さな男の子の姿はどこにもなかったのだ。

「あの子たち、まさか…」

絞り出すような呟きは、誰にも聞こえない。美咲は居間に戻ると、壁に飾ってある一枚の額縁に目をやった。湊がまだ小学校に上がる前に描いた、拙い線で描かれた家族の似顔絵。太陽のように笑う自分と夫、そしてその真ん中で、はにかむように笑っている幼い湊。この笑顔を守ること、この平凡な幸せを守ることこそが、彼女のすべてだった。

「子どもは、親が守るべきものよ…」

強い信念が、彼女の中で形を成していく。これはただの杞憂などではない。鋭い勘が、警鐘を鳴らしている。長年培ってきた「失せ物を見つけるのが得意」という彼女の特技が、論理を超えた領域で告げていた。あの子たちは、屋台が並ぶような、提灯の明かりが届くような、そんな普通の場所にはいない。もっと深い、もっと暗い、人ならざる場所に迷い込んでしまったのだと。美咲の瞳から、それまでの不安の色が消え、射抜くような強い光が宿った。彼女の母性が、現実世界を繋ぎとめる「錨」として、今、目覚めようとしていた。

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現実の錨、母の胸騒ぎ - 夏草の海と、線路の先に - 誰でも作家life