第3話 禁足地への誘い
大人たちの賑やかな声が、風に乗って母家の座敷から漏れ聞こえてくる。星迎えの祭りの夜は、親戚たちが集まり、過ぎた日々の思い出話に花を咲かせるのが常だった。美咲が腕を振るった料理と酒で上機嫌になった大人たちの意識は、もはや庭先で所在なげにしていた子供たちには向いていない。その一瞬の隙を、彼らは見逃さなかった。
陽太が、アイコンタクトで合図を送る。それに頷いた暦がすっと立ち上がり、音もなく家の影へと消えた。湊と樹も、誰に咎められるでもなく、後を追うようにしてその場を離れる。提灯の明かりが作る暖かな光の輪から一歩踏み出すと、夜の闇が濃密なインクのように彼らを呑み込んだ。
「うっひょー!マジでリアルRPGじゃん!夜のクエスト開始って感じ!」 先を行く暦のすぐ後ろで、陽太が興奮を隠しきれない声で囁く。彼の純粋な探究心は、闇さえも心躍る舞台装置に変えてしまう。 対照的に、一番後ろからついてくる樹は、手にしたスマホのライトで足元を照らしながら、盛大なため息をついた。 「街灯の少ない暗闇が人間の原始的な恐怖心を煽り、非合理的な思考を誘発するんだ。そもそも陽太の夢なんていう非科学的なものを根拠に、こんな時間に出歩くこと自体が間違ってる。せめてGPSロガーくらいは起動しておくべきだな…バッテリー、持つか?」 ぶつぶつと文句を言う彼の横顔にも、しかし、退屈な帰省の夜にはなかった好奇の色が浮かんでいるのを、湊は見逃さなかった。湊自身の胸も、期待なのか恐怖なのか判然としない高鳴りが支配していた。ただ、この息の詰まるような他人行ぎょうぎの夏休みを終わらせてくれる何かが、この闇の先にある。そんな予感だけが、彼の足を前へと進ませていた。
やがて一行は、苔むした石灯籠が並ぶ、古い神社の入り口にたどり着いた。鳥居には真新しいしめ縄が張られ、「これより先、立ち入るべからず」という古い立て札が、この場所が禁足地であることを示している。 暦はそこでぴたりと足を止め、鳥居に向かって、深く、深く一礼した。その振る舞いは、ただの肝試しでここへ来た者のそれとは明らかに違っていた。まるで、この先に待つ何者かへの敬意と畏怖を示す、厳かな儀式のようだった。 その迷いのない姿に、湊は息を呑む。このミステリアスな従姉は、ただの案内役ではない。彼女自身が、この場所と、そしてこれから始まる物語の当事者なのだと、直感的に悟った。
「…暦さん、本当にこんなところに線路なんてあるのか?」 樹が、疑念のこもった声で尋ねた。 「ただの迷信だろ。陽太の夢の話に乗せられて、俺たちまで道に迷ったらどうするつもりだ。科学的に考えれば、廃線跡がこんな神社の裏手の、管理もされていない森に残っている可能性は極めて低い。地形図のデータでも、この周辺に鉄道が敷設された記録は…」 「理屈じゃないのよ」 樹の言葉を遮り、暦は静かに、しかし有無を言わせぬ力強さで言った。 「この場所は、理屈で説明できるものと、できないものが混じり合う場所だから。あなたは目に見えるもの、データで示せるものしか信じないかもしれない。でも、世界はあなたが思うよりずっと複雑で、曖昧なものでできている。人々が語り継いできた想いや、忘れられた記憶。そういうものが、時々、形を持って現れることがあるの。特に、今夜みたいな星迎えの夜にはね。…信じるか信じないかは、あなた次第よ。でも、私は行かなければならない。陽太や…湊が見た夢を、私はただの夢だとは思えないから」
暦の言葉に、湊は心臓を掴まれたような衝撃を受けた。彼女は、自分の夢のことも知っている。板挟みになるどころか、自分もまたこの謎の中心にいるのだと突き付けられ、湊は言葉を失った。
鬱蒼と茂る森の奥深く、月明かりだけが頼りの獣道を進む。虫の声と葉擦れの音が、まるで世界の秘密を囁き合っているかのように響いていた。やがて、木々の隙間から開けた場所が見えてくる。そこには、赤錆びた二本のレールと、土に埋もれかけた朽ちた枕木が、巨大な獣の骸のように闇の中へとどこまでも続いていた。 夢で、何度も見た光景。 郷愁とファンタジー、そして微かな恐怖が入り混じった幻想的な風景を前に、四人はただ、息を呑んで立ち尽くしていた。
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