第2話 星迎えの夜と不吉な昔話
陽が落ち、町のあちこちに吊るされた提灯が琥珀色の光を灯し始めると、相葉家の広い座敷には親戚一同が集まり、賑やかな夕食が始まった。卓上には、湊の母・美咲が腕を振るったカボチャの煮付けや、揚げたての夏野菜の天ぷらが大皿に盛られ、懐かしい醤油と出汁の香りが立ちのぼる。大人たちはビールを片手に、一年の間に積もった話に花を咲かせている。
しかし、その和やかな輪から切り離されたように、子供たちの間には昼間と変わらない、薄いガラスのような壁が存在していた。都会の喧騒に慣れた湊にとって、こののどかさは退屈と同義で、ただ箸を進めるだけの時間だった。
食後、火照った体を冷やしに湊が縁側へ出ようとすると、背後から母の声がかかった。 「湊。あまり夜更かしして出歩くんじゃないわよ」 台所で洗い物をしていた美咲は、ふと手を止めると、心配そうに眉を寄せた。彼女は濡れた手でエプロンの裾を無意識に握りしめている。昔からの彼女の癖だった。 「この辺りは昔からね、星迎えの祭りの夜は、神隠しが多いって言うの。ご先祖様の魂が帰ってくるとき、現世と常世の境い目が曖昧になって、子どもは向こうに連れて行かれやすいんだって。おばあちゃんから、そうやって何度も聞かされたものよ」 それは、この土地に根付く不吉な昔話。湊にとっては母の過保護な心配性の一つとして聞き流してきた言葉だったが、祭りの熱気に浮かされた夜の闇の中では、その言葉が妙な現実味を帯びて、小さな棘のように心の隅に引っかかった。
その時だった。遠くから聞こえてくる祭りの囃子太鼓の音を切り裂くように、玄関の引き戸が勢いよく開け放たれた。 「みんな、聞いたか!? 俺、マジですっげー夢見たんだよ!」 息を切らして駆け込んできたのは、好奇心の塊、長谷川陽太だった。彼の目は爛々と輝き、その場の空気を一瞬で塗り替える。 「ただの夢じゃねえ、超リアルなやつ! 真っ暗な森の中にさ、線路があんだよ! 普通の錆びた線路じゃない、星屑をぜんぶ集めて作ったみたいにキラキラ光ってて、それがずーっと、どこまでも続いてんの! でさ、その線路の向こうから、誰かが『待ってる』って呼んでる気がして……これ、絶対ただの夢じゃないって! この祭りの夜にだけ現れる、伝説の線路なんだよ! 行こうぜ、探しに!」
陽太の熱弁に、水を差したのは新田樹だった。彼は縁側の柱に寄りかかったまま、涼しい顔でスワイプしていたスマホの画面を陽太の顔に突きつける。 「待て、長谷川。君の言うことは感情論に過ぎず、科学的根拠が皆無だ。第一、複数の人間が類似した夢を見る現象は『フォークロアの伝播と集団心理による同調現象』として説明できる。この地域には元々『星祭りの夜の不思議な出来事』という土着の物語、つまりフォークロアが存在する。その情報に無意識下で接触した我々の脳が、祭りの高揚感というトリガーによって似たようなイメージを生成したと考えるのが合理的だ。君が見たのは光る線路じゃない。おそらくは、湿度の高い夜気に反射した祭りの灯りか、あるいは……そう、燐光菌だ。腐った木材なんかに付着する菌類が発光する現象だよ。それを夢の中で増幅して解釈したに過ぎない。実在するわけがないだろう」
しかし、湊は息を呑んでいた。樹の理路整然とした解説は、まったく頭に入ってこない。陽太の荒唐無稽な夢物語が、自分がずっと独りで抱えてきた秘密の夢――蛍のように明滅する光の線路と、そこで誰かを待つ少女のシルエット――と、あまりにも克明に重なっていたからだ。心臓が大きく跳ねる。言わなければ。でも、どうやって? 周りの空気を読んでしまう癖が、喉を石のように硬くする。
言葉にできず戸惑う湊の視線が、ふと、隣で黙って湯呑みを傾けていた従姉の暦を捉えた。その瞬間、暦の表情が凍りついたのを、湊は見逃さなかった。いつも冷静沈着な彼女の瞳が、一瞬だけ激しく揺らぎ、血の気が引いたように唇が白くなる。だが、それはほんの一瞬のこと。彼女はすぐにいつものミステリアスな仮面を被り直すと、静かに立ち上がった。
「……ただの廃線跡よ。昔、使われていた林業用の」
その声は、驚くほど平坦だった。
「危ないから、私が見ててあげる。それで満足でしょ、陽太」
それは、冒険への招待状だった。暦は皆を先導する役目を、静かに、しかし有無を言わせぬ力強さで引き受けたのだった。
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