9話 絶望と代償、そして…

砕け散った仮面の破片が、重力制御の狂った廃墟の中でスローモーションのように舞う。その下に現れた顔。血と煤に汚れ、苦痛に歪んだその顔を、カイは知っていた。知っているはずがないのに、魂の奥底が叫んでいた。

「レオ…?」

忘れていたはずの名前が、錆びついた扉をこじ開けるように喉からこぼれ落ちた。ポケットの中で握りしめていた写真。そこに写る、顔も思い出せなかった親友。ファントムと呼ばれた仮面の亡霊は、カイが失った過去そのものだった。

その瞬間、封印されていた記憶のダムが決壊した。

――燃え盛る研究施設。鳴り響く警報と人々の絶叫。母の悲痛な声。「カイ、逃げて!」崩れ落ちる天井。そして、分厚い隔壁の下敷きになり、動かなくなった幼いレオの姿。「助ける…助けるから…!」と叫びながら、大人たちに引き剥がされる自分。

「そうだ…」カイの膝が、ガクリと折れた。床に両手をつき、嗚咽が漏れる。「俺は…お前を助けられなかった…。見捨てて…逃げたんだ…!」

「カイ…?」レオもまた、頭を抱えて呻いた。刷り込まれた「ファントム」という虚構の人格と、蘇る「レオ」という本物の記憶が、脳内で激しく衝突し、火花を散らす。「俺は…ファントム…クロノス社の剣…。違う…違う!俺は…カイの、友達で…一緒に、星を…見るって…」

断片的な言葉が、二人の間に横たわる絶望的な時間の溝を浮き彫りにする。

その、あまりにも痛ましい再会を嘲笑うかのように、静寂の廃墟に荘厳な音楽が響き渡った。バッハのフーガ。歪んだ空間に巨大なホログラムが投影される。純白のスーツに身を包み、玉座に座るアレクサンダー・クロノスが、チェスの駒を弄びながら、二人を見下ろしていた。

「感動的だ。実に感動的な再会だね、カイ・アストレイア。そして、レオ。我が社の最高傑作、ファントムよ」

その声は氷のように冷たく、しかし奇妙な熱を帯びていた。

「君たちが流す涙、その苦悩、それこそが、私が根絶しようとしているものだ。人間が人間である限り、争いはなくならない。愛は憎悪に、希望は絶望に、友情は裏切りに転化する。予測不能な『自由意志』という名のバグが、常に悲劇を生み出し続ける。私はね、その根源的な欠陥を修正し、人類を次のステージへと導こうとしているのだよ」

アレクサンダーは立ち上がり、両手を広げた。その様は、まるで信徒に教えを説く教祖のようだった。

「『ヒュプノス計画』。それは全人類の記憶と思考を、私の管理するネットワークに接続し、統合する計画だ。悲しみも、怒りも、苦しみも、すべては巨大な調和の中に溶けて消える。個の感情というノイズを取り除き、種として永遠の平和を享受する。それは破壊ではない、救済だ。強制ではない、進化なのだ。そして君たち二人は、その偉大なる計画の礎となった、栄光ある最初の被験者なのだよ」

カイは顔を上げた。憎悪に燃える瞳で、虚空の独裁者を睨みつける。

「ふざけるな…!お前が俺たちの人生を弄んだのか!」

「弄んだ、か。心外だな。私は君たちに『役割』を与えたのだ。事故で失われるはずだった君たちの存在を、私の理想を実現するための重要な駒として蘇らせた。レオには『カイを倒す』という絶対的な使命を。そして君には、カイ・アストレイア、失われた記憶を取り戻し、過去と対峙することで、システムとの親和性を極限まで高めるという試練をね。そして今、君は試練を乗り越え、計画を完成させるための最後の鍵――言わば『マスターキー』そのものになった。さあ、私の元へ来るんだ。君の存在が、全人類を苦しみから解放する」

アレクサンダーの言葉が引き金となり、施設の各所からクロノス社の無人機や重武装の兵士たちが、無慈悲な足音を響かせて殺到してきた。

「カイ、逃げて!こいつら、あんたを生け捕りにする気だ!」スターゲイザーから、リナの切羽詰まった声が響く。彼女は凄まじい速度でコンソールを叩きながら叫んだ。「こんなクソみたいな計画、腹いせにデータごと全部いただいてやる!ゼノ、時間を稼いで!」

「了解。リナの意志が、私の意志だ」無口なアンドロイドがスターゲイザーのハッチから飛び出し、圧倒的な物量の敵を相手に孤軍奮闘を始める。レーザーが空間を裂き、爆発が連鎖する。レックスもスターゲイザーの機銃で援護するが、敵の数は無限に思えた。

「カイ、行け!」

レオが、よろめきながらもカイの前に立ちはだかった。

「嫌だ!もうお前を置いていけるか…!今度こそ、一緒に…!」

カイの叫びを、レオは悲しい笑みで遮った。その瞳には、かつての親友の光が確かに宿っていた。

「覚えてるか、カイ…?ガキの頃、二人でさ。ジャンクパーツで宇宙船の設計図ばっかり描いてたよな。いつか、誰も知らない星を見に行こうって…約束した。俺はもう、その星空を見ることはできない…。だから、お前が見てくれ。俺の分まで。たくさんの星を…」

レオは自らが乗ってきた漆黒の機体へと後ずさる。

「ごめん、カイ…。約束、守れなかった…!でもな、最後に一つだけ思い出させてくれた。誰かの犠牲の上に成り立つ平和なんて、偽物だって…そう叫んだのは、お前だったじゃないか…!だから、お前は生きろ!お前の信じる、本物の未来のために!」

コックピットに滑り込んだレオは、躊躇なく自爆シーケンスを起動させた。機体のリアクターが甲高い警告音を発し、臨界点へと達していく。

「やめろぉぉぉっ!レオォォォッ!」

カイの絶叫は、銀河を揺るがすほどの閃光と轟音にかき消された。レオの機体は小さな太陽と化し、殺到していたクロノス社の部隊を飲み込んでいく。凄まじい爆風と衝撃波が、老朽化した研究施設を根こそぎ破壊していく。

吹き飛ばされたカイの身体を、間一髪で駆けつけたレックスが抱きかかえ、スターゲイザーへと引きずり込んだ。その直後、リナの歓声とも悲鳴ともつかない声が艦橋に響いた。

「やった!『マスターキー』、ダウンロード完了!…でも…!」

スターゲイザーは猛烈な加速で崩壊するロスト・セクターを離脱する。やがて船は静かな星の海へと戻った。

艦橋は、死んだような静寂に包まれていた。計器類の放つ冷たい光が、クルーたちの顔を青白く照らし出す。カイは床に座り込んだまま、動かなかった。ただ、子供のように声を殺して泣き続けていた。その震える手の中には、熱で少し焼け焦げた、くしゃくしゃの写真が握られている。

誰も、彼に声をかけられなかった。

レックスは無言で操縦桿を握りしめ、その横顔には深い悔恨が刻まれている。リナはコンソールの前で唇を強く噛みしめ、ゼノは、ただ静かにカイの傍らに佇んでいた。

親友を二度も失うという、あまりにも大きな代償。その引き換えに手に入れた、独裁者の計画を打ち砕くための「希望」。そのあまりにも残酷な重さに、誰もが言葉を失い、これから始まる本当の戦いの意味を、無限に広がる星空の暗闇の中に見つめていた。

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絶望と代償、そして… - 記憶の航海 - 誰でも作家life