8話 ロスト・セクターの死闘

そこは、宇宙の墓場だった。

時空の断層が星々の光を醜く歪め、砕け散った文明の残骸が亡霊のように漂う禁断の宙域、ロスト・セクター。スターゲイザーのブリッジは、かつてない緊張に支配されていた。計器類が悲鳴のような警告音を不規則に発し、眼前のスクリーンには、物理法則を無視して現れては消える巨大なデブリ群が映し出される。

「右舷前方、高重力反応! 回避間に合いません!」 リナの叫び声が、張り詰めた空気を切り裂く。いつもは冗談を飛ばす彼女の顔から笑顔は消え、コンソールに表示される膨大なデータを睨みつけながら、その指が目にも留まらぬ速さでキーを叩いていた。隣では、ゼノがリナを守るように立ち、その青白い光学センサーが静かに船外の異常を捉え続けている。

「チッ、往生際の悪い亡霊どもめ!」 操縦桿を握るレックスが悪態をつく。ダッシュボードに並べたラッキーコインが、船体の激しい揺れでカタカタと不吉な音を立てていた。焼け焦げたパイロットグローブに包まれたその手は、老練な船乗りのように荒々しく、しかし的確に舵を切る。 「カイ、お前の勘だけが頼りだ! 次はどっちから来る!?」 「…左だ! 左下から、何かデカいのが来る…気がする!」 カイは銃座のシートに身を預け、目を閉じていた。論理ではない。データでもない。この空間に満ちる歪みが、彼の神経を直接かき乱し、頭痛と共に奇妙な既視感を呼び覚ます。まるで、遠い昔にこの狂った航路を一度通ったことがあるかのように。彼の直感に従い、レックスが船体を大きく傾けた直後、スターゲイザーがいた空間を、小惑星サイズのデブリが幻のように通り過ぎていった。冷や汗がカイの額を伝う。

「…見えたぞ。あれが、全ての始まりと終わりの場所だ」 レックスが苦々しげに呟いた。時空の渦の中心に、巨大な建造物のシルエットが浮かび上がっていた。かつてクロノス・インダストリーがテラフォーミング実験を行っていた研究施設。今は、誰の星図にも載らない廃墟と化している。スターゲイザーは吸い込まれるように、 gaping hole のように口を開けたドックへと滑り込んでいった。

エンジン音が止むと、船内は死んだような静寂に包まれた。重力制御が途絶えた施設の内部は無重力で、破壊された機材やねじ切れたケーブルが、まるで深海の生物のようにゆっくりと漂っている。ライトに照らされた光景は、巨大な生物の骸の内側に迷い込んだかのようだった。

その中心に、「それ」はいた。 瓦礫が積み重なり、まるで歪な玉座のようになった場所に、一機の戦闘機が静かに佇んでいた。漆黒の装甲は周囲の闇よりも深く、光さえ吸い込むようだ。仮面のパイロット、「ファントム」。彼らは、この忘却の墓場で待ち続けていたのだ。

『来たか、カイ・アストレイア』

ファントムの機体から発せられた通信は、合成音声でありながら、奇妙なほど感情の揺らぎを感じさせた。それはまるで、長年待ち望んだ好敵手を迎える歓喜と、拭いきれない深い絶望が混ざり合ったような響きだった。

「お前は…!一体誰なんだ!なぜ俺を、俺たちをここまで執拗に追う!」 カイは叫び、戦闘機のトリガーに指をかけた。ポケットの中の古びた写真が、彼の体温でじっとりと濡れている。

『お前が忘れたからだ。お前が奪ったからだ。お前が……生きているからだ。この場所がお前の記憶を呼び覚ますなら、好都合。お前が全てを思い出し、絶望の淵で死ぬことこそが、俺に与えられた唯一の存在理由なのだから』

「存在理由だと…?ふざけるな!人の生きる理由を、お前やクロノスが決めていいはずがない!俺は俺の意志でここに来た!俺が何者なのか、それを知るために!」

『意志だと? 笑わせるな。お前のその勘も、その怒りも、その存在そのものが、巨大な欺瞞の上に成り立つ砂上の楼閣に過ぎない。ならば証明して見せろ。その偽りの意志の力で、俺の絶望を上回れるものならな!』

言葉は、もはや不要だった。 漆黒の機体が獣のように咆哮を上げ、ビームライフルを乱射する。カイも即座に応戦。廃墟のドックは、二つの機体が放つ破壊の光で満たされ、無数のデブリが閃光の中で砕け散っていく。速い。ファントムの動きは、これまでのどの戦闘とも比較にならない。AIによる予測射撃を嘲笑うかのように、変幻自在の軌道でスターゲイザーを翻弄する。

「クソっ!動きが読めねえ!」 「カイ、分析データを送る!ヤツの機動パターン、過去の戦闘記録と不一致!まるで…感情で動いているみたいだ!」 リナの焦燥に満ちた声が響く。だが、カイには分かっていた。これは単なる感情ではない。もっと深い、魂の根幹から湧き上がる衝動だ。そして、その動きの節々に、カイは説明のつかない懐かしさを感じていた。フェイントのかけ方、スラスターを吹かすタイミング。それはまるで、幼い頃に夢中で遊んだシミュレーションゲームで、いつも隣にいた“誰か”の癖に酷似していた。 懐かしさと同時に、胸を抉るような悲しみが込み上げてくる。なぜだ。なぜ、お前と戦っていると、こんなにも悲しいんだ。

『どうした、カイ・アストレイア!お前の力はその程度か!俺の全てを奪っておきながら!』 ファントムの猛攻がカイの乗る銃座を襲う。衝撃で機体が激しく揺れ、カイの意識が一瞬、白く染まった。

―――燃え盛る炎。鳴り響く警報。人々の悲鳴。 「カイ、逃げて!」 悲痛な女性の声が、頭蓋の内側で木霊する。

「う、ぁっ…!」 強烈な頭痛に、カイは操縦桿を握りしめた。 「坊主、しっかりしろ!理屈で考えるな!お前の体が、魂が覚えているはずだ!そいつの動きの『先』を読め!お前の親父も、そういう勘で飛ぶやつだった!信じろ、自分を!」 レックスの怒声が、カイを現実に引き戻す。

そうだ。信じるんだ。俺の、この感覚を。 カイは再び目を開けた。そこにはもう、迷いも混乱もなかった。彼はファントムの動きを追うのをやめ、その気配、その魂の叫びに意識を集中させる。次に来る。あいつは、俺が一番嫌がる、あの角度から突っ込んでくる。昔から、いつもそうだったじゃないか。

「レックス!最大出力で後退!リナ、右舷シールドを一点集中!」 「なっ…!?」 「いいから早く!」 カイの絶叫にも似た指示に、仲間たちは一瞬ためらい、しかし即座に行動した。スターゲイザーが後退するのと、ファントムがカイの予測通りの軌道で突撃してくるのは、ほぼ同時だった。がら空きになったスターゲイザーの左舷。ファントムにとって、それは完璧な死角のはずだった。

だが、カイはそこを狙っていた。 「今だ!」 スターゲイザーの機体下部から、隠されていたアームが伸び、ファントムの脚部を絡めとる。カイがジャンクパーツで即席に組み上げた、最後の切り札だった。体勢を崩した漆黒の機体。そのメインスラスターが、一瞬、無防備に晒される。 カイの指は、考えるより先に引き金を引いていた。放たれた一条のビームは、まるで吸い寄せられるように、その一点を正確に撃ち抜いた。

轟音。 コントロールを失ったファントム機は、きりもみしながら施設奥の壁に激突し、爆炎と黒煙を噴き上げた。破壊された機体から火花が散り、やがて静寂が戻る。

激しい戦闘の末の静寂の中、大破したコックピットから、一つの人影が力なく投げ出された。その衝撃で、パイロットの顔を覆っていた仮面が音を立てて砕け散る。 ライトに照らし出されたその素顔を見て、カイは息を呑んだ。 血と煤に汚れ、苦悶に歪んだその顔。それは、カイがずっとポケットの中で握りしめていた、色褪せた写真に写る少年――顔も名前も思い出せなかった、かつての親友の顔だった。

「レオ…?」

忘却の彼方に沈んでいたはずの名前が、カイの唇からこぼれ落ちた。 その瞬間、彼の頭の中に、封印されていた記憶の奔流が押し寄せる。

燃え盛る研究施設。鳴り響く断末魔のような警報。 ガラスの向こうで、炎に巻かれていく両親の姿。 「カイ、逃げて!」と叫ぶ母の最後の声。 「生きろ!」と叫び、カイを庇う父の背中。 そして――― 崩れ落ちてくる天井の瓦礫から、カイを必死に突き飛ばす、小さな親友の姿。 「カイ…!お前だけでも…星を…見るんだ…!」 瓦礫の下で動かなくなったレオ。その伸ばされた手が、カイの記憶の最後に、焼き付いていた。

「……あ……ああ……あああああああああっ!!」

カイの絶叫が、星々の墓場に虚しく響き渡った。 そうだ。俺は、忘れていたんじゃない。逃げていたんだ。 親友を、家族を、見殺しにしたこの場所から。 その罪の記憶から。 今、その全てを思い出した彼の瞳から、熱い雫が止めどなく溢れ落ちていた。

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