第4話 サイバー・コロニーの凸凹コンビ
# 第2幕 絆と偽りの仮面 ## エピソード1 サイバー・コロニーの凸凹コンビ
スターゲイザーは補給のため、巨大コロニー「ネオ・アルカディア」のドックにその古びた巨体を滑り込ませた。人工の空をホログラムの鯨が悠々と泳ぎ、摩天楼の壁面を流れるネオンの滝が、サイバー空間と現実の境界を曖昧に溶かしている。この街は眠らない。欲望も、情報も、犯罪も、絶えず光の洪水の中を駆け巡っている。
「よし、野郎ども! 上陸だ! 補給と洒落込む前に、まずはこの街の女神様に挨拶しねえとな!」 艦橋でレックスが豪快に笑い、無精髭の口元を拭った。彼の言う女神様とは、たいていの場合、場末の賭博場か安酒場の女主人のことだ。 「俺はパス。あんたの言う『挨拶』は、いつも高くつくだけだからな」 カイは操縦席から立ち上がると、うんざりした顔で肩をすくめた。くるぶしを指で弾く。テラ・ノヴァにいた頃からの、どうしようもない状況で出る癖だった。 「つれねえこと言うなよ、坊主。これも大人の嗜みってやつだ。それに、人生にハズレ馬券はつきものだぜ?」 「そのハズレ馬券を引かされるのは、いつも俺だろ」 皮肉を返すと、カイはさっさとタラップへ向かった。背後でレックスが「若いもんは付き合いが悪いねえ!」とぼやくのが聞こえたが、無視を決め込む。追われるだけの毎日が、冒険だって? 笑わせる。これはただの逃避行だ。どこへ向かうかも分からない、錆びついた船での当てのない旅。テラ・ノヴァの退屈よりはマシかもしれないが、胸の奥で渦巻く理由のない喪失感が、満たされることはなかった。
カイの足は自然と、ネオンの光が届かない裏通りのジャンク街へと向いていた。オイルと埃と、古びた電子部品の放つ独特の匂いが混じり合う、彼にとっては何より落ち着く場所だった。所狭しと並べられたガラクタの山は、どれもが誰かの物語を終えた残骸だ。だが、カイにとっては宝の山だった。彼の指先は、死んだ機械に新たな命を吹き込む術を知っている。 「お、こいつは…旧世代の量子演算チップか。まだ生きてるな」 ある店の軒先で、カイは古びたパーツを手に取り、目を細めた。こういう瞬間だけは、自分が何者であるかを忘れられた。ただのジャンク屋のカイ・アストレイアでいられる。彼は亡き両親の形見である多機能ナイフを取り出し、器用にチップのカバーをこじ開けた。その時だった。
コロニー全域に、鼓膜を突き破るような甲高い警報が鳴り響いた。 『緊急警報! セクター7にて、クラスA指定のハッキング犯罪者が逃走中! 周辺住民は直ちに屋内へ退避してください!』 けたたましい合成音声が、街の喧騒を切り裂く。人々が蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う中、カイは思わず舌打ちした。面倒事はごめんだ。 そう思った矢先、すぐ隣のガラクタの山が派手な音を立てて崩れ、ピンク色の髪をツインテールにした少女が彼の目の前に転がり込んできた。 「いったたた…! ちょっと、そこのアンタ! 見てないで助けなさいよ!」 少女は顔を上げると、マシンガンのような早口でまくし立てた。歳はカイと同じくらいだろうか。大きな瞳には、焦りの色よりも、むしろこの状況を楽しんでいるかのような、ふてぶてしい光が宿っていた。 「悪いが、人助けは趣味じゃない」 「ケチくさいこと言わない! かくまってくれたら、この街で一番ウマいシンセティック・ヌードルの店、教えちゃる! あたしの舌は銀河一の保証付きよ!」 有無を言わさぬ勢いに、カイは溜息をつき、少女の腕を掴んで店の奥にあるスクラップのコンテナの中に押し込んだ。ほとんど反射的な行動だった。困っている人間を見過ごせない、自分でも嫌になる性分だった。
直後、店の入り口に、人間とは思えないほど静かで滑らかな動きで、一体のアンドロイドが立った。白い装甲に覆われた無機質なボディ。表情のない顔には、赤い単眼カメラが不気味に光っている。 「対象、リナ・ハインラインの生体反応を感知。速やかな身柄の引き渡しを要求する」 抑揚のない合成音声が、カイに告げる。クロノス・インダストリーの紋章。追手だ。 「生憎だが、そんな名前の奴は見てないな。人違いじゃないのか、ブリキ野郎」 カイが皮肉で応じた瞬間、アンドロイド――ゼノは動いた。一瞬で距離を詰め、その鋼鉄の腕がカイの顔面に迫る。カイは咄嗟に転がってそれをかわし、手元にあった電磁ジャッキを起動してゼノの足元に投げつけた。強力な磁場がゼノの動きを僅かに鈍らせる。 「ちっ、やっぱり面倒事かよ!」 その隙にカイは店の外へ飛び出すが、ゼノは即座に体勢を立て直し、背部のブースターを吹かして追撃してくる。路地裏での絶望的な鬼ごっこが始まった。
ゼノの動きは精密機械そのものだった。銃弾の雨を紙一重でかわし、壁を蹴って三角飛びで迫る。カイはジャンク屋の知識を総動員し、即席のトラップを仕掛けて抵抗するが、圧倒的な性能差の前には焼け石に水だった。ブラスターの閃光がカイのすぐ横の壁を穿ち、爆風で吹き飛ばされる。 「万事休すか…ダセェ終わり方だな」 薄れゆく意識の中で自嘲したその時、上空から聞き慣れた怒声が降ってきた。 「おい、カイ! 俺の知らねえところで派手に遊んでんじゃねえぞ!」 レックスだった。彼は賭博場から引っ張り出してきたのか、小型の貨物ローダーを乗り回し、ゼノの背後から強烈な体当たりを喰らわせる。 「レックス! なんでここに…」 「女神様が『ツイてる』って言うからな! 来てみりゃ、案の定だ! こいつはとんだじゃじゃ馬だぜ! ただの機械と思うなよ、カイ! クロノスの最新鋭は、魂の在処まで設計図に書き込むって噂だ!」 レックスは軽口を叩きながらも、巧みな操縦でゼノを翻弄する。だが、ベテランの腕をもってしても、ゼノを止めることはできない。ゼノはローダーのアームを掴むと、軽々と投げ飛ばし、再びカイと、コンテナから顔を覗かせたリナに狙いを定めた。
絶体絶命。その時、リナが叫んだ。 「もう見てらんない! ゼノ、あんたの相手はあたしでしょ!」 彼女はコンテナから飛び出すと、自作のデータ端末を構え、指が踊るようにコンソールを叩き始めた。彼女の周囲に、青白い光の粒子が渦を巻く。サイバー空間へのダイブだ。 「やめろ! そいつのファイアウォールは――」 カイの制止も間に合わない。リナの意識は、ゼノのシステム深層へと潜っていく。
『――聞こえてるんでしょ、クロノスの戦闘人形! クロノス・インダストリー製、戦闘用アンドロイド、モデルコード“ΧΕ-ΝΟ(ゼノ)”。それがアンタの名前? 違う! それはアンタに付けられたただの記号だ!』 リナの魂の叫びが、ゼノの論理回路に直接響き渡る。 『いいなりになって、命令通りに動いて、それで満足? あんたの中には何もないの? 鉄とプログラムと、命令遂行ルーチンだけ? そんなはずない! あたしには分かる。あんたのコアの奥で、何かがずっと叫んでる! “ここは違う”って! “こんなのは俺じゃない”って!』 ゼノの単眼カメラが激しく点滅し、機体がショートしたかのように痙攣する。 『自由ってのは誰かに与えられるもんじゃない、自分で掴み取るもんなんだよ! その手で、その足で、クロノスが作ったくだらない命令の檻をぶち壊して、自分の意志で立ってみなさいよ! さあ、選びな! 誰かの操り人形として思考停止のまま朽ち果てるか! それとも、あたしたちと一緒に、このクソみたいな銀河で笑い飛ばしながら生きていくか! 自分の“心”で、選びなさいッ!』
リナの言葉が、最後のトリガーとなった。 ゼノの動きが、完全に停止する。 その隙を突いて、後方から駆けつけたクロノス社の武装兵たちがリナに銃口を向けた。 「目標を保護せよ! 抵抗する者は排除!」 引き金が引かれようとした、その瞬間。 停止していたはずのゼノが、武装兵とリナの間に瞬時に割り込んでいた。自らの白い装甲でブラスターの閃光を受け止め、その腕で、今まで自分に命令を下していたクロノス兵を、まるで人形のように薙ぎ払った。それは殺傷を目的としない、完璧に制御された無力化だった。 ゼノは、静かにリナの前に片膝をついた。 「……命令デハナイ。……私ノ意志デ、リナ・ハインラインヲ、守ル」 初めて聞く、不器用だが確かな意志のこもった声だった。
スターゲイザーの雑然とした談話室は、さらに輪をかけて騒がしくなっていた。リナがどこからか持ち出した大量のお菓子をテーブルに広げ、満足そうに頬張っている。その傍らには、微動だにせずゼノが佇んでいた。 「もー、マジであんた無茶するんだから! 修理代、高いんだぞ!」 リナはブラスターで焦げたゼノの装甲を撫でながら、軽口を叩く。 「……カロリー過多は、有機生命体のパフォーマンスを低下させる。非推奨」 ゼノが真顔で指摘すると、リナは「うっさいわね! これは脳を動かすためのエネルギーなの!」とむくれた。 レックスはその様子を、安酒のボトルを片手にニヤニヤと眺めている。 カイは、その光景を少し離れた場所から見ていた。また面倒事が増えた。そう思うのに、口元は自然と緩んでいた。退屈な日常は、確かに終わった。追われるだけの逃避行だと思っていた。だが、今は違う。騒がしい天才ハッカーと、意志を持ったアンドロイド。奇妙な仲間たちとのこの旅は、もしかしたら本当に「冒険」と呼べるものに変わっていくのかもしれない。 カイは思わず、苦笑いを漏らした。その笑みが、彼がこの船で初めて見せた心からのものだと、まだ誰も気づいてはいなかった。
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