第3話 引き金は錆びついていない
スターゲイザーの艦橋は、混沌の神が気まぐれに設計した祭壇のようだった。剥き出しの配線が古びた血管のように壁や天井を走り、用途不明のスイッチが点滅を繰り返している。油と、レックスがこぼしたであろう安酒の匂い、そして微かな煙草の香りが混じり合い、この船の主人の生き様そのものを体現していた。 レックス・ヴォルフェンは、年季の入った操縦席に深く身を沈め、操縦桿を握るでもなく、ダッシュボードに並べたラッキーコインを器用に指で弾いていた。カチン、と乾いた音が、船の低いエンジン音に混じる。
「いいか、坊主。お前さんが拾ったそのちっこいチップはな、ただのガラクタじゃねえ。クロノス・インダストリーとかいうクソ真面目な連中が、銀河の果てまで追いかけてでも取り戻したい、とんでもねえ代物だ。奴らがひた隠す銀河の秘密と、お前さんの忘れたままの宿題がぎっしり詰まった、いわばパンドラの箱ってわけよ」
カイは、壁にもたれかかったまま、腕を組んでその言葉を聞いていた。足元には、彼が愛用する多機能ナイフが転がっている。
「パンドラの箱、ね。あんた、意外とロマンチストなんだな、オッサン。俺にとっちゃ、ただの厄介事の塊にしか見えないが。だいたい、俺の宿題ってなんだよ。夏休みの自由研究なら、とっくにジャンクパーツでロボット作って提出済みだ」
皮肉っぽく言い返すカイの言葉を、レックスは豪快な笑い声で受け流した。
「ハッ、口だけは達者だな、カイ。だがな、お前が今感じてるその厄介事ってやつが、冒険の始まりの合図なんだぜ。退屈な日常に溜息ついて、ここじゃないどこかを夢見てたんだろ? ほら、望み通りになったじゃねえか。神様ってのは、時々ひどくタチの悪いやり方で願いを叶えてくれるのさ」
「頼んでもいない神様の、ありがたいご慈悲ってわけか。冗談キツイぜ」
カイがそう呟き、考え事をするようにくるぶしを指で弾いた、その時だった。 けたたましい警告音が艦橋に鳴り響き、赤いランプが狂ったように明滅を始めた。レーダーモニターには、急速に接近してくる複数の光点が映し出されている。クロノス社の紋章をつけた、無人戦闘機の編隊だった。
「おっと、噂をすれば影、だ。景気のいい花火のお出ましだな!」 レックスの瞳が、それまでの酔いどれの光から、鋭い狩人のそれに変わる。 「おい坊主、ぼさっと突っ立ってる暇はねえぞ! そこな、銃座が埃かぶって泣いてるぜ! 昔取った杵柄ってやつを、ひとつ見せてみろ!」
レックスの怒鳴り声に、カイは思わず声を荒らげた。 「だから、俺はガンマンじゃなくてジャンク屋だって何度言えばわかるんだ! 人殺しの道具なんて触ったこともねえよ!」
「今から触るんだよ! 撃たなきゃ撃たれる、宇宙ってのはそういうシンプルな場所だ! いいから座れ! 死にたくなきゃ、その錆びついた引き金を引くしかねえんだよ!」
レックスの気迫に押され、カイは舌打ちしながらも、促されるままに銃座へと滑り込んだ。冷たい金属のシート、複雑な計器類、そして目の前にある操縦桿。すべてが、自分のいるべき場所ではないと叫んでいる。 だが、その操縦桿を握った瞬間、カイの全身を奇妙な電流が貫いた。 初めて触るはずのそれが、まるで長年連れ添った身体の一部のように、驚くほどしっくりと手に馴染む。
(なんだ…これ…。やったことがある…? いや、そんなはずは…)
強烈な既視感。頭の奥でノイズが走り、知らないはずの光景が火花のように散る。炎、悲鳴、そして誰かの絶望的な叫び声。 モニターに映る敵機が、急速に距離を詰めてくる。AI制御による無慈悲で正確な動き。その機影をターゲットスコープに捉えた瞬間、カイの指は、彼の意志とは無関係に、考えるより先に引き金を引いていた。
放たれたプラズマビームが、漆黒の宇宙を切り裂き、一筋の光の槍となって敵機に突き刺さる。轟音と共に爆散する敵機。その閃光が、カイの驚愕に染まった顔を照らし出した。
「どうした坊主、怖気づいたか? だがな、震えてる指でも引き金は引けるもんだ。考えるな、感じろ。昔、お前の親父がよく言ってたぜ。空を飛ぶってのは理屈じゃねえ、魂でやるもんだってな。お前の中にも眠ってんだろ、親父さんから受け継いだ何かが!」 レックスの声が、通信機越しに響く。
「うるさい! 親父なんて知らない! 俺はただのジャンク屋だ! こんなこと、望んじゃいなかった…!」 カイは叫び返した。恐怖と混乱で心臓が張り裂けそうだった。だが、同時に、心の奥底で燃え上がる何かがあった。 「だけど…! だけど、このままやられるのはもっとごめんだ!」
カイの瞳が、モニターの光点を鋭く捉える。彼の「不思議な勘」が、脳内で炸裂した。敵の動きが、まるでコマ送りの映像のようにゆっくりと見え始める。次にどこへ動き、どこを狙うべきか、その軌道が光の線となって彼の網膜に焼き付く。 「右舷前方、三機! 回避しながら散開する!」 「左翼から回り込んでくるぞ、クソッ!」 レックスの叫びと、カイの直感がシンクロする。操縦桿を握る手に力がこもる。引き金が引かれるたびに、宇宙に破壊の花が咲き、スターゲイザーの船体を震わせる。 それはもはや戦闘ではなく、血湧き肉躍る狂詩曲(ラプソディ)だった。カイは忘我の境地で、ただひたすらに指を動かし続けた。壊し、壊され、生と死の境界線で踊る。その暴力的なまでの高揚感が、彼の魂を根底から揺さぶっていた。
激しい戦闘の末、最後の敵機が宇宙の藻屑と消えた時、スターゲイザーはついにテラ・ノヴァの重力圏を離脱していた。 静寂が戻った艦橋で、カイは荒い息をつきながら、ゆっくりと顔を上げた。窓の外には、生まれ育ったコロニーが、青白く輝く宝石のように浮かんでいる。だが、それもみるみるうちに小さくなり、やがて無数の星々の中に溶けて消えていった。 もう、あの退屈な日常には戻れない。 さよなら、俺のガラクタだらけの城。さよなら、俺のちっぽけで、でも確かだった世界。 胸にぽっかりと穴が空いたような喪失感と、同時に、檻から解き放たれたような奇妙な解放感が、カイの中で渦を巻いていた。
「ほらよ」 不意に、目の前に安酒のボトルが差し出された。レックスが、ニヤリと笑っている。 「祝杯だ。坊主の門出と、俺たちの新しい船出にな」 カイは無言でボトルを受け取り、ラッパ飲みした。喉を焼く安物のアルコールが、彼のささくれた神経に染み渡っていく。 「……最悪の船出だな」 カイは、皮肉たっぷりにそう笑った。だが、その瞳には、今まで自分でも知らなかった確かな熱が、星のように宿っていた。冒険が、今、始まったのだ。
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その頃、銀河の中心に君臨する巨大企業、クロノス・インダストリー本社。 その最上階にあるCEO執務室は、宇宙船の艦橋とは対極の、完璧なまでの静寂と秩序に支配されていた。壁一面の窓には、管理された星々の営みが巨大な絵画のように映し出されている。 部屋の中央では、若きCEO、アレクサンダー・クロノスが、黒と白の駒が並ぶチェス盤を前に、静かに思索に耽っていた。彼の指が、優雅な動きでナイトの駒を一つ進める。 カチリ、という硬質な音だけが、バッハのフーガが低く流れる空間に響いた。
「対象は、テラ・ノヴァの重力圏を離脱。追撃部隊は…全滅しました」 ホログラムで報告する部下の声に、アレクサンダーはチェス盤から目を離さずに応えた。 「結構。それでいい」 「しかし、CEO。あれは計画の根幹を揺るがす『鍵』です。このまま逃がせば…」 「鳥は籠から出て初めて、空の広さと己の無力さを知るものだよ」 アレクサンダーは初めて顔を上げ、氷のように冷たい、しかしどこか人間的な熱を秘めた瞳でホログラムを見据えた。 「彼は自らの意志で『そこ』へ向かう。失われた記憶という名の羅針盤に導かれてね。すべては私が描いた譜面の通りだ。むしろ、ここからが本番だよ」
彼の傍らには、漆黒のパイロットスーツに身を包み、感情の一切を読み取らせない仮面をつけた男が、まるで彫像のように静かに佇んでいた。ファントム。 アレクサンダーは、その気配に語りかける。 「…ファントム、聞こえているね。君の出番は近い。君が失ったもの、そして取り戻すべきものが、あの古びた船に乗っている。君の存在理由そのものが、ね。準備を」
その言葉に、ファントムの肩が、誰にも気づかれぬほど微かに震えた。仮面の下で、忘れ去られたはずの何かが、錆びついた引き金に指をかけるように、疼き始めていた。
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