第11話 星を継ぐ者たちの誓い
星々の墓場だった。クロノス・インダストリーの執拗な追撃を振り切ったスターゲイザーが身を潜めたのは、砕け散った惑星の残骸が無数に漂う小惑星帯の深部。巨大な岩塊の影は、レーダーにも映らない絶対的な闇を提供してくれたが、同時に、クルーたちの心に重くのしかかる絶望の比喩のようでもあった。艦内を満たすのは、戦闘で抉られた隔壁を叩くデブリの微かな衝突音と、張り詰めた静寂だけだ。
船のメンテナンスベイでは、リナが半壊したゼノの左腕と向き合っていた。父親の形見である工具セットから精密ドライバーを取り出し、剥き出しになったアクチュエーターの配線を慎重に繋ぎ直していく。彼女の背後で、充電ポートに接続されたゼノは静かに佇んでいた。
「まったく、あんたって奴は本当に無茶ばっかするんだから! この対ビームコーティング、もうとっくに廃盤なんだよ? 代替パーツ探すあたしの身にもなってよね!」
軽口を叩きながらも、その指先は驚くほど優しく、繊細だった。スパークする配線を巧みに処理し、新しい装甲プレートを仮止めする。リナの額には汗が滲んでいた。
「……命令デハナイ」
不意に、ゼノが低い声で呟いた。表情筋は未だ硬いが、その合成音声には奇妙な響きが宿っていた。
「私の意志デ、リナヲ守ル。故ニ、コノ損傷ハ合理的ナ結果ダ」
「合理的って…、アンタねぇ…」
リナは呆れたように肩をすくめたが、その口元には微かな笑みが浮かんでいた。彼女はゼノの肩に残っていた小さな星型のチャーム――スクラップの中から見つけてゼノにあげた、リナとお揃いのもの――を指で弾く。
「ま、あんたのその“意志”とやらのおかげで、全員助かったんだけどさ。…サンキュ、ゼノ」
「……礼ノ意味ヲ、学習中。肯定的な感情ノ発露ト理解。処理中……完了。どういたしまして、リナ」
機械的な応答。だが、その言葉には確かに温かいものが通っていた。二人の間には、開発者と被造物でも、ハッカーとアンドロイドでもない、確かな絆が育まれていた。それはこの冷たい宇宙で、唯一確かな希望の光のように思えた。
その頃、カイは艦橋で一人、虚空を見つめていた。ロスト・セクターでの記憶の奔流。親友レオの最後の笑顔と、自爆の閃光。ポケットの中のくしゃくしゃになった写真の感触が、今も指先に残っている。罪悪感が鉛のように心を沈ませる。俺が殺した。俺が弱かったから。そんな言葉が頭の中をぐるぐると回っていた。
やがて彼は、何かを決意したように立ち上がり、クルー全員に通信を入れた。 「みんな、ラウンジに集まってくれ。話がある」
ラウンジに集まったのは、レックス、リナ、そして修理を終えたゼノ。誰もが口を開かず、ただカイの言葉を待っていた。カイはテーブルの中央に、ロスト・セクターでリナが手に入れたデータチップ――「ヒュプノス計画」のマスターキー――を置いた。
「俺たちは、もう逃げるのをやめる」
カイの声は、静かだが、揺るぎない覚悟に満ちていた。
「このデータを中立コロニー連合に届ける。それだけじゃ、きっと何も変わらない。クロノスは情報を揉み消し、また同じことを繰り返すだろう。レオは死に、また誰かが同じように犠牲になる。そんなのは間違ってる。そんな世界は、レオが見たかった星空じゃない」
カイは一人一人の顔をまっすぐに見つめた。斜に構えた皮肉屋の面影は、そこにはもうない。
「誰かの犠牲の上に成り立つ平和なんて、ただの欺瞞だ。アレクサンダーは、人間の自由意志を奪って争いをなくすと言った。でも、間違えることも、傷つくことも、誰かを想って泣くことも、全部含めて“生きる”ってことなんだ。それを奪う権利なんて、誰にもない! だから、俺たちが終わらせる。アレクサンダー・クロノスを、クロノス・インダストリーの歪んだ理想を、この手で止めるんだ」
それは、未熟な若者の感傷ではなかった。親友の死という最大の代償を払って得た、英雄の誓いだった。リナは目を輝かせ、力強く頷いた。ゼノは静かに「カイの決定を、支持スル」と告げた。 沈黙していたレックスが、ゆっくりと口を開いた。彼の表情から、いつもの豪放な笑みは消え失せていた。
「…坊主。いや、カイ。少し二人で話がしたい」
レックスはカイを連れて、スターゲイザーのコックピットへと向かった。そこは彼の聖域であり、孤独な城だった。操縦席に深く腰を下ろしたレックスは、ダッシュボードに並べたラッキーコインを指で弾き、やがて、焼け焦げた跡のあるパイロットグローブをきつく握りしめた。
「お前の覚悟は、よく分かった。…だが、それを聞いちまったからには、俺も腹を割って話さなきゃならねえことがある」
レックスは星々の闇を見つめ、長い沈黙の末に、堰を切ったように語り始めた。
「ロスト・セクター…あの日、俺もあの場所にいた。軍のパイロットとしてな。そして…俺は、お前の親父さんを見殺しにしたんだ。目の前で。事故はクロノスが仕組んだものだった。俺たち軍部は上層部から口封じを命令され、生存者の救助より、証拠隠滅を優先させられた。俺はそれに逆らえなかった…いや、逆らう勇気がなかった。目の前で親父さんが瓦礫に消えていくのを、ただ見ていることしかできなかったんだ。『カイを頼む』…それが、通信越しに聞こえたアイツの最後の言葉だった」
レックスの声は、悔恨と自嘲に震えていた。豪傑の仮面の下に隠されていた、深い傷が露わになる。
「だから俺は、軍を辞め、運び屋になった。アイツとの約束を果たすため、ただお前を守ることだけを考えて生きてきた。贖罪だったんだ。俺の、くだらねえ自己満足だ。だがな、カイ…もう違う。お前はもう、俺が一方的に守らなきゃならねえ、ただの坊主じゃねえ。同じ地獄を見て、同じ痛みを背負って、それでも前を向こうとしてる。同じ星を見る仲間だ。…だから、これはもう俺の贖罪じゃねえ。親父さんの無念を晴らすためでもない。これは、『俺たちの』戦いだ」
レックスはカイに向き直り、その瞳は血が滲むような真剣さで燃えていた。守られる者と守る者という関係は、今、この瞬間に消え去った。カイはただ黙って、その告白を受け止めていた。そして、静かに頷いた。言葉は必要なかった。魂が、確かに繋がった。
再びラウンジに戻った二人の表情を見て、リナは全てを察した。空気は一変し、悲壮感は消え、決戦前の引き締まった緊張感が満ちていた。
「よっしゃー! じゃあ、銀河一のハッキングショーの始まりと行こうじゃないの!」
リナがホログラムディスプレイを起動させると、宇宙に浮かぶ巨大な要塞の設計図が映し出された。クロノス・インダストリーの中枢要塞「パンオプティコン」。
「これがクロノスの心臓部!セキュリティはマジで地獄級だけど、この『マスターキー』さえあればこっちのもんよ!あたしが正面から派手にサイバー攻撃を仕掛けて防衛システムを大混乱させる!その隙にゼノが特攻して物理的セキュリティをぶっ壊す!レックスのおっちゃんはスターゲイザーで敵の艦隊を引きつける陽動役!そして主役のカイが、小型機でど真ん中に突っ込んで、玉座にふんぞり返ってるアレクサンダーの頭をぶん殴る!どうよ、完璧な作戦でしょ?」
マシンガンのようなリナの説明に、カイは思わず苦笑した。だが、それは無謀な計画ではなかった。それぞれの役割が、互いの能力を最大限に引き出す、信頼に基づいた作戦だった。
出撃は、翌朝。
その夜、カイは一人、スターゲイザーの展望窓から無限の星空を見上げていた。ガラスに映る自分の顔は、テラ・ノヴァにいた頃の自分とはまるで別人に見えた。彼は静かにポケットから父の形見の多機能ナイフを取り出し、それを強く握りしめる。
「見ててくれよ、レオ」
その声は、誰に聞かせるでもなく、星々の海へと溶けていった。
「お前と見たかった星空は、きっとこんな窮屈なものじゃなかったよな。誰かの都合で歪められたり、管理されたりするもんじゃない。もっと自由で、どこまでも広がっていて…馬鹿みたいに笑いながら、いつまでだって見ていられるような、そんな星空だったはずだ。…俺が必ず取り戻す。お前が守ろうとした未来を、俺たちの手で。これが、俺たちの冒険の始まりだ」
彼の言葉に応えるように、遠い銀河の彼方で、一つの星がひときわ強く輝いた気がした。それは、これから始まる狂詩曲の、最初のファンファーレだった。
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