第12話 夜明けのラプソディ
漆黒の宇宙空間に、巨大な人工天体が神の如く君臨していた。クロノス・インダストリーの中枢要塞「パンオプティコン」。完璧な球体を成すその表面は鏡のように滑らかで、近づく艦船の姿を不気味に映し出す。その静寂は、死そのものだった。
「さーて、パーティの準備はいいかしら、みんな! 銀河一のハッキングショー、その幕開けと行きますか!」
スターゲイザーの艦橋に、リナ・ハインラインの明るい声が響き渡る。彼女の指がコンソールの上で踊るたび、パンオプティコンの鉄壁と謳われた防衛システムのコードが、美しい旋律を奏でるように解かれていく。無数の防衛砲台が沈黙し、エネルギーシールドに致命的な穴が穿たれた。
「ゼノ、あんたの出番!」 「了解。これが私の意志だ」
リナの隣で静かに待機していたゼノが、短く応じる。彼の瞳に宿る光は、もはや単なるプログラムの応答ではなかった。スターゲイザーのハッチが開き、ゼノは小型のブースターを装着したその身一つで、宇宙空間へと躍り出た。彼は自らのボディを盾に、覚醒した防衛ドローンの群れを引き受ける。無数のレーザーが彼を掠め、装甲を焦がすが、その動きに一切の躊躇はない。
「派手に行こうぜ、スターゲイザー! あの坊主に最高の花道を作ってやらなきゃな!」
操縦桿を握るレックス・ヴォルフェンが、ダッシュボードに並べたラッキーコインを指で弾きながら豪快に笑う。古びた船体は、歴戦の老兵のように雄叫びを上げ、陽動のために敵艦隊の只中へと突っ込んでいく。その無謀とも思える突撃が、要塞の注意を一身に集めた。
「カイ、行け! お前のための舞台だ!」
レックスの声を背に、カイ・アストレイアは小型戦闘機のスロットルを全開にした。リナがこじ開け、ゼノが守り、レックスが作り出した、ただ一点の突破口へ。加速する機体がパンオプティコンの内部へと侵入する。轟音と振動の世界から一転、機体が着陸した格納庫は、不気味なほど静まり返っていた。
カイはコックピットを降り、要塞の中心へと歩を進める。塵一つない通路、等間隔に配置された照明、すべてが完璧な秩序と合理性に基づいて設計されている。それはまるで、一人の人間の脳内を歩いているかのような、息の詰まる空間だった。
やがて辿り着いた最深部。そこは、ドーム状の天井を持つ広大な玉座の間だった。壁面全体が展望スクリーンとなっており、外で繰り広げられるスターゲイザーの死闘と、銀河の星々が映し出されている。 その中央、黒曜石を削り出したかのような玉座に、一人の男が静かに腰かけていた。アレクサンダー・クロノス。彼は、カイが入ってくるのを待っていたかのように、流れていたバッハのフーガを止め、ゆっくりと立ち上がった。
「ようこそ、カイ・アストレイア。君が来ることは分かっていたよ。この盤上における、最後の、そして最大のイレギュラー」
アレクサンダーの声は、冷たく、そしてどこか愉しんでいるかのように響いた。
「アレクサンダー…。あんたの茶番は、ここで終わりだ」
カイは父の形見である古びた多機能ナイフの柄を強く握りしめた。
「茶番、か。では君に問おう。争いがなく、悲劇がなく、誰もが穏やかに生きられる世界。それを創り出すことが、果たして茶番かね? 私が幼かった頃、故郷のコロニーは企業間紛争の戦火に焼かれた。目の前で両親が、友人が、名も知らぬ人々が、意味もなく死んでいった。爆風で吹き飛ばされた母の腕の中で、私は止まった懐中時計を見つめながら誓ったのだ。二度とこのような愚行を繰り返させてはならない、と。人間の不完全な自由意志こそが、悲劇の根源なのだ。ならば、私がそれを管理し、完全な調和をもたらす。それが私の見出した、唯一の救済だ。君も理解できるはずだ。親友をその手で失った君ならば。レオ君を死に追いやったのは、結局のところ、君たちの不完全な感情と、予測不能な自由意志ではなかったかね?」
アレクサンダーの言葉は、鋭い刃のようにカイの心を抉る。レオの最期の顔が脳裏をよぎり、カイは奥歯を噛みしめた。しかし、彼の瞳から決意の光は消えない。
「…ああ、そうかもしれない。俺たちのせいでレオは死んだ。俺はあいつを救えなかった。その事実は、一生背負っていく。だがな、アレクサンダー。あんたは根本的に間違っている」
カイは一歩前に踏み出し、独裁者をまっすぐに見据えた。
「間違えること、傷つくこと、誰かを想って泣くこと、後悔して、それでも前に進もうともがくこと…全部含めて、生きるってことだ! あんたが作ろうとしてるのは平和なんかじゃない。ただの巨大な墓場だ。感情を奪われ、意志を奪われ、ただ生かされてるだけの人形の世界だ。レオは、自由を選んで死んだ。あんたの操り人形になることを拒んで、自分の意志で、俺に未来を託してくれたんだ。あんたに、それを奪う権利はない! 誰かの犠牲や支配の上に成り立つ平和なんて、偽物なんだよ!」
「愚かしい理想主義だ」
アレクサンダーは静かに首を振った。
「だが、対話の時間は終わったようだ。君という存在が、ヒュプノス計画を完成させる最後の鍵となる。さあ、私の世界の一部になるがいい」
その言葉を合図に、アレクサンダーの身体が淡い光に包まれる。彼の意識は要塞システムそのものと完全に同期し、玉座の間全体が彼の意思を持つ巨大な生命体へと変貌した。床から無数のケーブルが蛇のように伸び、壁からはレーザー砲門が姿を現す。
「逃げ場はない。私の思考は、この要塞の隅々にまで行き渡っている」
絶望的な力の奔流がカイに襲いかかる。完璧な論理と計算に基づいた攻撃は、回避することすら困難を極めた。吹き飛ばされ、壁に叩きつけられ、カイの意識が遠のきかける。仲間たちの声が、遠くで聞こえる。
(ここまでか…? レオ…ごめんな、約束…)
薄れゆく意識の中、カイの脳裏に、失われた記憶の断片が閃光のように蘇った。 それは、テラ・ノヴァのジャンクヤードよりももっと昔。ロスト・セクターの事故が起きる前の、陽だまりのような日々。幼いカイとレオが、ガラクタを寄せ集めて自作のロボットを作っている。
『なあカイ、完璧なAIの裏をかくにはどうすればいいと思う?』 『もっとすごいAIを作る?』 『ブッブー! 答えはね、予測不能な「遊び」を入れることさ!』
レオはそう言って、ロボットの関節に、わざと一つだけサイズの合わないネジを仕込んだ。そのせいでロボットは時々、奇妙な、まったく無意味な動きをする。
『ほら! このカクンって動き! これがAIには予測できないバグになるんだ。完璧な論理は、たった一つの非合理で崩せるんだぜ!』
そうだ、レオ…。お前のアイデア、借りるぜ!
カイは最後の力を振り絞って立ち上がり、通信機に叫んだ。 「リナ! システムに無意味なジャンクデータを、断続的に送り続けてくれ! ほんの一瞬でいい、あいつの思考にラグを作ってくれ!」 『え、何言ってんの!?…でも、アンタのそのワケわかんない勘、信じた! やってやんよ!』 「レックス! スターゲイザーのメインエンジンを、不規則なタイミングで吹かしてくれ! エネルギー供給に揺さぶりを!」 『ハッ、酔っ払いの千鳥足ってわけだな! 任せとけ!』 「ゼノ! 南側の第3ドックを破壊! 物理的なエラーを強制的に起こすんだ!」 『…それが、カイの意志か。了解した』
仲間たちが、カイの意図を即座に理解し、動く。リナのハッキング、レックスの陽動、ゼノの破壊工作。それらが、アレクサンダーの完璧な思考ネットワークに、ほんの僅かな、しかし致命的な「ノイズ」を生み出した。
「無駄だ! その程度の揺らぎ、私の思考で…なっ!?」
予測不能な奇策の連続に、アレクサンダーの完璧な処理能力が一瞬、追いつかない。そのコンマ数秒の隙。カイはその機を逃さなかった。 彼は床を蹴り、壁を駆け、アレクサンダーの攻撃を紙一重でかわしながら、玉座の背後にある、要塞のコアユニットへと肉薄する。
「終わりだ、アレクサンダー!」
カイは父の形見のナイフを、逆手に握りしめていた。それはただのナイフではない。カイの父が、万が一のためにと、クロノス社のシステムを内部から破壊するウイルスを仕込んでいた最後の切り札だった。 暴走するエネルギーの中、カイはナイフをコアへと深々と突き立てた。
断末魔のような絶叫が、要塞全体に響き渡る。 システムと同期していたアレクサンダーは、苦悶の表情でカイを見つめた。 「なぜ…なぜ、私の完璧な世界が…」 「あんたは一人だったからさ…」
崩壊が始まる。眩い光の中、カイの身体はレックスが突入させたスターゲイザーの回収アームに優しく包まれた。彼が最後に見たのは、静かに崩れ落ちていく独裁者の城と、止まった懐中時計を握りしめたまま光に消える、一人の男の孤独な姿だった。
数ヶ月後。 クロノス・インダストリーの悪行は白日の下に晒され、CEOを失った企業は瓦解。銀河には新たな秩序の兆しが見え始めていた。
スターゲイザーの展望窓から、カイは無限に広がる星の海を眺めていた。あの退屈だった辺境のコロニーの空とは違う、本物の宇宙がそこにはあった。
「で、英雄サマはこれからどうすんの? どこかの連邦議長サマにでもなる?」 リナが背後から、お菓子をかじりながら軽口を叩く。 「ご遠慮願うね。ああいう格式張ったのは苦手だ」 カイは肩をすくめて応じた。
「カイの判断は、合理的だ。官僚機構の処理速度は、スターゲイザーの演算能力を下回る」 傍らで黙々とメンテナンスをしていたゼノが、真顔で分析結果を告げる。
艦橋から、酒瓶を片手にしたレックスが顔を出した。 「さて、船長さんよ。お次への航路は決まったのか? どこへ行きたい?」
レックスの問いに、クルー全員の視線がカイに集まる。彼は少し考える素振りを見せた後、悪戯っぽく笑って答えた。
「さあな。でも、どこへ行ったって、もう退屈はしないだろうさ」
カイは星々に向かって、高らかに宣言した。
「冒険こそ人生だ」
その言葉は、仲間たちの弾けるような笑い声と共に、無限に広がる星々の狂詩曲(ラプソディ)へと溶けていった。スターゲイザーは、新たな夜明けを迎えた銀河へと、再びその機首を向けた。
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