5話 三人の証言

翌日の夕方、私は《未完成の夕景》の複写と学内展配置図を封筒に入れ、南星高校を出た。

配置図の紙は、何度も開かれたせいで中央に柔らかな折り目がついている。折り目の上には、朱色の鉛筆で引かれた線が一本あった。西棟三階へ向かう視線の導線。その途中で欠けた番号と、午後八時を示す記号。

私はそれを見ないように封筒へ戻した。けれど、紙をしまったあとも、折り目だけが指先に残っていた。

校門を出ると、風が横から吹きつけてきた。銀杏の葉が歩道の端へ集まり、靴底の下で乾いた音を立てる。街路樹の枝はほとんど裸で、暮れかけた空が、枝の隙間から薄い藍色を覗かせていた。

最初に向かったのは、神崎玲司のいる南棟の教室だった。

神崎は現在、近くの中学校で教員をしている。閉校準備の手伝いで、夕方だけ南星高校へ戻ってきていると、真帆先生から聞いていた。

教室の扉を開けると、暖房の切れた空気の中に、紙とチョークの匂いがこもっていた。机は六列に並び、教材の角はすべて揃えられている。黒板の端に残った日付だけが、誰かの手で消しかけられていた。

神崎は窓際の机で、名簿を分類していた。私に気づくと、眼鏡の位置を直し、立ち上がった。

「朝霧さん。何かありましたか」

「少し、お聞きしたいことがあります」

「もちろんです。私に分かる範囲でよければ」

彼はそう言いながら、机の上の紙束を角から揃えた。私が立ったままなのを見ると、向かいの椅子を引いたが、自分は座らなかった。

「二十年前の学内展についてです」

神崎の手が止まった。

「学内展、ですか」

「この配置図を見てください。《未完成の夕景》の位置が、作品名簿と記録写真で違っています。番号も三番と五番が入れ替わっている。展示替えのあとに、何か変更があったんでしょうか」

神崎は配置図を受け取った。紙を持つ指先は丁寧で、爪の先まできれいに整えられている。視線は図面を追っていたが、文化祭前夜という言葉を出した途端、眼鏡の縁へ手が伸びた。

「確認ですが、これは現在の資料整理のための質問ですか。それとも、当時の出来事についての聞き取りでしょうか」

「両方です」

「両方、ですか」

「作品の裏に、午後八時と西棟三階を示す記号がありました。写真の裏にも、あとから書き足された時刻がある。配置が変わった理由を知りたいんです」

神崎はすぐに答えなかった。

窓の外では、落ち葉が校舎の壁にぶつかり、乾いた音を立てていた。彼はその音を聞いているように、窓の外へ視線を逃がした。

「たしか、展示の進行上、動線を変えたのだと思います」

「進行上、というのは?」

「来場者が詰まらないように、作品の間隔を調整したり、入口から見たときの印象を整えたりすることです。文化祭前夜は、誰もが作業に追われていましたから」

「作品の間隔だけでなく、番号まで変える必要がありましたか」

「番号は、書き間違いだった可能性があります」

「配置図と写真の両方が違っているのに?」

神崎は再び眼鏡を直した。さっきよりも長く、指がフレームの上に留まった。

「朝霧さん。二十年前のことです。記憶というのは、思っている以上に形が変わります。写真や図面が残っていても、それが当時のすべてを正確に写しているとは限りません」

「でも、紙が書き換えられた痕跡は残っています」

「書き換えた人が、何かを隠そうとしたとは限りません。混乱をあとから整えただけかもしれない」

「整えることと、隠すことは、どう違うんでしょう」

神崎は私を見た。

穏やかな顔だった。責める気配も、怒りもない。ただ、答えを口にする前に、言葉の形を選んでいる顔だった。

「整えるのは、今後困らないようにするためです。隠すのは、誰かに知られたくないことがあるからです」

「神崎さんは、どちらだったと思いますか」

彼はわずかに息を吸った。

「私は……見たかもしれません」

「何をですか」

「展示替えのあと、西棟三階の廊下に、誰かが立っていたのを」

「朱音さんですか」

名前を口にした瞬間、神崎の視線が窓の外へ戻った。返事の代わりに、机の上の名簿が一枚ずれた。彼はそれを直そうとしたが、紙の角に触れたまま動かなくなった。

「名前までは、確認していません」

「でも、誰かがいた」

「いたように見えた、というだけです。照明が暗く、廊下には資材も置かれていました。人影と見間違えた可能性もある」

「泣き声は?」

神崎の指が紙から離れた。

「泣き声、ですか」

「当夜の警備日誌に、午後八時半ごろ、廊下で泣き声がしたとあります」

「私は聞いていません」

「聞かなかった?」

「聞いていない、という意味です」

「それは、違うんですか」

神崎は私を見た。初めて、穏やかな表情の下に疲れが浮かんだ。

「朝霧さん。聞かなかったことと、聞いたけれど覚えていないことは、同じではありません。私は、あの夜に何かを聞いたのかもしれない。でも、それを今、事実として言えば、別の誰かの記憶まで変えてしまう。私はそういうことを避けたいんです」

「誰かを守るためですか」

「守るという言葉は、便利すぎます」

神崎は小さく笑った。笑顔にはならなかった。

「守ったのか、逃げたのか、今の私には区別がつきません。ただ、あの夜、声を上げれば何かが変わったかもしれない。それでも私は、展示を終わらせることを優先した。作品の順番を戻し、廊下を空け、翌朝に間に合わせることを考えた。あのときの私は、そういう人間でした」

「今もですか」

「今も、たぶん」

神崎は配置図を私へ返した。

「ただし、何も知らなかったわけではありません。その言い方だけは、私自身が許せない」

それ以上は、彼の口から出なかった。私は礼を言い、教室を出た。

廊下を歩きながら、封筒の中の紙を思った。神崎は記憶を整えようとしていた。けれど、整えようとする指先ほど、紙の傷を深く押し込むことがある。

次に向かった藤堂みどりの画材店は、南星高校から商店街を抜けた先にあった。

店内には、乾いた絵具と木箱の匂いが混じっていた。棚の顔料は色相順ではなく、使う頻度の高いものから手前に並べられている。朱や白は腰の高さにあり、群青と灰色は少し奥へ押し込まれていた。

藤堂さんは、私が入るなり、手元の封筒へ目を落とした。

「その持ち方、先生に仕込まれたね」

「持ち方、ですか」

「紙の角を押さえて、中央を浮かせてる。折れ癖を増やさない持ち方。あの人、作品にはうるさいから」

彼女はレジの奥で、古い平刷毛を洗っていた。水を張った小さな金属容器の中で、固まった絵具がゆっくりほどけていく。

「二十年前の展示配置図を持ってきました」

「そう。とうとう来たか」

藤堂さんは冗談めかして言ったが、刷毛を洗う手が止まった。

「何がですか」

「昔の話を聞きに来る人。学校がなくなると、みんな急に思い出したがる。校舎が残っているあいだは、そこに置いておけばいいと思ってるくせに」

「藤堂さんは、何を覚えていますか」

「質問が直球だね。朝霧さん、もっと商売人らしく、筆を一本買ってからにしな」

「買います。話を聞けるなら」

藤堂さんは初めて、私の顔を正面から見た。すぐに視線を手元へ落とす。

「その目は、買い物に来た目じゃないよ」

彼女は棚から、使い込まれた色見本帳を取り出した。角は丸く、紙の端に細かな絵具の跡がある。

「これ、見て」

見開きには、同じ朱色が三種類並んでいた。発色の強い朱、灰を混ぜた朱、乾いて少し黒ずんだ朱。

「どれも朱に見えるでしょう。でも、絵の具は乾くと変わる。紙の質でも違う。触った人の手の油でも、ほんの少し変わる。だから、色だけで昔を断定するのは危ない」

「《未完成の夕景》の修正痕は?」

「見たの?」

「はい」

「なら、あなたにも分かるはずだよ。あれは失敗の塗り直しじゃない。見せ方を変えた跡だ」

「誰が、何のために?」

藤堂さんは色見本帳を閉じた。

「作品に聞きな。人間に聞くより、ずっと正直だから」

「藤堂さんは、文化祭前夜に何を見たんですか」

彼女は黙った。

店の奥で、暖房の配管が小さく鳴った。通りを自転車が走り、濡れてもいない路面をタイヤが擦る音がした。

「見てはいけないものを、見た気がした」

「気がした、ではなく?」

「見たんだと思う。でも、見たと言うには、私の立っていた場所が悪すぎた」

「場所が悪い?」

「人はね、どこから見たかで、同じものを別の形にする。私は展示室の入口にいた。朱音は廊下へ出るところだった。間に人が何人もいて、声も音もあった。だから、私が見たものが本当にそうだったのか、今でも自信がない」

「それでも、記憶に残っている」

「残っているから、困ってるんだよ」

藤堂さんは洗い終えた刷毛を布で包み、レジ横の引き出しへ入れた。引き出しを閉める動作だけが、妙に強かった。

「朱音さんは、誰かに何かを渡そうとしていましたか」

「紙を持っていた。白い紙。赤い絵の具がついていた」

「色紙ですか」

「たぶん。あの子は言葉で人を止めるのが苦手だった。何か伝えたいときは、ものを並べた。筆を三本、少しだけずらして置くとか、同じ色を別の場所へ移すとか。気づく人間にしか気づけないやり方でね」

「藤堂さんは気づいた?」

「気づいたよ」

声が低くなった。

「気づいたのに、声をかけなかった」

「なぜですか」

「声をかければ、あの子のところへ人が集まると思った。あの夜は、みんな苛立っていた。展示が遅れていたし、先生も来場者の対応で手いっぱいだった。朱音がそこで説明を始めたら、誰かが『今それどころじゃない』と言う。たぶん、そうなると思った」

「だから黙った?」

「黙れば、あとで落ち着いて話せると思ったんだよ」

藤堂さんは、色見本帳を両手で押さえた。

「でも、あとで話すための時間なんて、誰も作らなかった。展示は終わった。翌朝には、朱音は来なかった。来なかった理由を聞く人もいなかった。先生たちは家出か体調不良か、そんな言葉を並べた。私たちも、頷いた」

「それは、朱音さんを守ったんですか」

「分からない」

彼女は笑おうとしたが、口元だけが歪んだ。

「守ったつもりだったよ。騒ぎにしなければ、あの子がもっと傷つかずに済むと思った。でも、騒ぎにならないことと、傷つかないことは別だった。黙ったことで、誰もあの子を探さなかった。私は今でも、あれを守ったとは言えない」

藤堂さんは棚の奥から、一枚の古いマット紙を取り出した。紙の端に、細い線と二つの点が刻まれている。

「これ、同じ種類の紙です」

「《未完成の夕景》の裏打ちと?」

「そう。二十年前、あの作品の修正に使われた紙の余り。私は店を始めるとき、画材の在庫と一緒に持ち出した」

「どうして残したんですか」

「捨てられなかったから。理由は、それだけで十分だろ」

彼女は紙を封筒のそばへ置いた。

「ただし、私は何も渡していない。これは証拠じゃない。証拠みたいな顔をさせるな。物は、持ち主の罪まで背負ってくれないから」

私は紙に触れなかった。

「それでも、藤堂さんが見たことを教えてください」

「見ることと、言うことは同じじゃない」

「分かっています。でも、言わないことで、誰かの輪郭がまた消えることもあります」

藤堂さんの手が止まった。

しばらくして、彼女は低い声で言った。

「そういうところが、朝霧理緒に似てるよ」

母の名前が、店の空気を変えた。

「母を知っているんですか」

「知っている。あの夜、あんたのお母さんも学校に来ていた」

私は返事ができなかった。

藤堂さんは、それ以上説明しようとせず、古い引き出しをもう一度閉めた。

「小野寺のところへ行きな。記録の話なら、あの人が一番よく知ってる。知っているからこそ、何を言わないかも分かりやすい」

画材店を出ると、日がほとんど落ちていた。商店街の照明が一本ずつ灯り、濡れてもいない歩道に薄い光の輪を作っている。私は母が学校にいたという言葉を、何度も頭の中で転がした。

母は、ただの傍観者ではなかった。

けれど、それが何を意味するのかはまだ分からない。分からないまま、最後に市役所へ向かった。

文化振興課の部屋は、蛍光灯の白さが強かった。窓際の書庫には、背表紙の高さまで揃えられたファイルが並んでいる。小野寺恒一は、机の上の書類を角から順に整えていた。

「朝霧さんですね。桐生先生から伺っています」

「ご存じだったんですか」

「閉校に伴う資料整理の件で、何度かお名前を拝見しました」

小野寺は穏やかに笑い、向かいの椅子を示した。私が座ると、彼はメモ帳を一度開いてから、ようやく顔を上げた。

「確認ですが、本日は何のご相談でしょうか」

私は配置図を机へ置いた。

「平成十六年度の学内展についてです。展示配置図と作品名簿、記録写真の間で、番号と作品の位置が一致しません」

小野寺は紙の端を揃えた。

「古い資料ですので、多少の不一致は想定されます」

「多少ではありません。《未完成の夕景》だけでなく、間にあった作品が一枚抜けています」

「抜けているというのは、現物がないという意味ですか」

「記録上の位置から消えています」

「確認しますが、朝霧さんは記録の不備を問題にされているのでしょうか。それとも、当時の人間関係について聞きたいのでしょうか」

「両方です」

「人間関係については、私から申し上げられることは限られます」

「では、資料の不備について答えてください。誰が配置を変え、誰が写真の端を切り、誰が名簿を差し替えたんですか」

小野寺の指が、腕時計の縁に触れた。

「記録が残っていれば、確認できます」

「残っていないから聞いています」

「残っていないものについては、推測でお答えすることができません」

「廃棄されたんですか」

「保存年限に基づいて処分された可能性はあります」

「可能性、ですか」

「市の文書管理規程では、学校行事に関する一部資料は、保存期間を経過すれば廃棄対象になります。個人の記憶だけで保存期間を延長することはできません」

言葉が、きれいに机の上へ並べられていく。保存年限。廃棄対象。規程。私はその一つ一つが、感情のない蓋のように感じた。

「書類が残っていることが、正しいことなんですか」

「少なくとも、公的な確認には書類が必要です」

「書類にない人は、いなかったことになりますか」

小野寺はすぐには答えなかった。

部屋の外で、コピー機が低く唸った。誰かの笑い声が聞こえ、すぐに遠ざかる。市役所の日常は、二十年前の夜など知らない顔で動いていた。

「そういう意味ではありません」

「でも、記録から名前や場所を外せば、あとから確認できなくなる」

「記録は、すべてを保存するためにあるわけではありません。必要な情報を、一定の形式で残すためのものです」

「誰にとって必要かは、誰が決めるんですか」

小野寺の笑顔がわずかに薄くなった。

「その時点で、組織が判断します」

「その組織が間違っていたら?」

「後から見れば、そういうこともあるでしょう。しかし、その場では誰かが判断しなければならない。混乱を放置するほうが、もっと多くの人を傷つける場合もあります」

「だから、朱音さんの不在も、混乱の一部として処理したんですか」

名前を出すと、小野寺の手が止まった。

「西園寺さんのことを、どこで知りましたか」

「名簿にあります」

「名簿にあるのは、在籍の記録です。失踪については、私は把握していません」

「藤堂さんは、文化祭前夜に朱音さんが紙を持っていたと言いました。神崎さんは、西棟三階に誰かがいたかもしれないと」

「お二人が何をおっしゃったかは、私には分かりません」

「分からないのではなく、答えたくないんじゃありませんか」

小野寺はメモ帳を閉じた。

「朝霧さん。あなたはまだ若い。資料の欠落を見つけると、そこに意図を読みたくなる気持ちは理解できます。しかし、すべての空白が隠蔽の結果とは限らない。記録は、単に不完全なだけかもしれません」

「不完全な記録を、完全なものとして扱う人がいるから、空白が残るんです」

「では、あなたはどうするおつもりですか」

「見つけたものを並べ直します。作品、配置図、写真、証言。誰が何を見たのか、何を見なかったのか」

「それは、警察に相談されるという意味ですか」

声は穏やかだったが、初めて小野寺の問いに硬さがあった。

「まだ決めていません」

「それがよろしいでしょう。二十年前の出来事を、根拠の薄いまま事件として扱えば、関係者の生活を不必要に乱すことになります」

「生活を乱されたのは、朱音さんのほうではありませんか」

小野寺は返事をしなかった。

机の上には、古い展示会名簿の控えがあった。黒革の手帳の脇に置かれ、表紙の角が擦れている。私はそこから、薄い紙片が一枚だけ覗いているのを見た。

群青の線。二つの点。

小野寺は私の視線に気づくと、すぐに名簿を閉じた。

「本日は、これ以上お話しできることはありません」

「その紙は何ですか」

「資料です」

「二十年前の配置図の写し?」

「確認します」

「確認ではなく、今、答えてください」

小野寺の指先が、初めて紙の角を乱した。

「今ここで即答する必要はありません」

「必要がないのは、私ですか。それとも、あの夜のことですか」

沈黙が落ちた。

彼は私を見なかった。机の上に散った紙の白さを見つめ、乱れた角を直そうとして、直せずに手を引いた。

「朝霧さん。記録は、人を守ることがあります」

「知っています」

「なら、記録を壊すような追及はしないでください」

「壊したのは誰ですか」

小野寺は答えなかった。

私は配置図を封筒へ戻し、市役所を出た。

外はすっかり暗くなっていた。商店街の明かりが背中側へ流れ、歩くたびに落ち葉が靴の下で鳴る。冷えた空気が肺の奥まで入り、私は何度か浅く息を吐いた。

神崎は、記憶を整えていた。

藤堂は、沈黙に手触りを残していた。

小野寺は、制度の言葉で蓋をしていた。

三人の証言は噛み合わない。けれど、噛み合わない部分の位置だけは、同じ場所を指している。西棟三階。午後八時。誰かが戻るはずだった場所。

私は歩道の端で立ち止まり、封筒を取り出した。

配置図の折り目を開く。紙の中央に、欠けた番号がある。欠けたままなのに、その周囲だけが妙に濃い。消された部分ではなく、消そうとして押しつけられた手の重さが残っている。

そのとき、背後で車のドアが閉まった。

振り返ると、街灯の下に、南星高校の方向へ向かう人影があった。顔は見えなかった。人影は一度だけこちらを見たように思えたが、すぐに歩き出し、落ち葉の音の中へ紛れていった。

私は追わなかった。

追う代わりに、封筒の表へ日付を書いた。

神崎玲司。藤堂みどり。小野寺恒一。

その横に、三人が言わなかった言葉を、書かずに残した。

紙面には空白があった。私はその空白を埋めなかった。埋めてしまえば、彼らの沈黙まで私の推測に変わる。

けれど、見なかったことにもできない。

家へ向かう道の先で、旧県立南星高校の美術棟が見えた。養生シートに覆われた窓は、夜の街の色を返さず、白い面のまま立っている。

私はあの白さを見ながら、初めてはっきり思った。

この暗号は、朱音さん一人へ向けられた伝言ではない。

見たのに言わなかった人たちへ、そして、言わなかったことを記録に変えようとした人へ向けられている。

そこには、母も含まれている。

私は歩き出した。落ち葉の乾いた音が、足元から何度も返ってきた。まるで、誰かが遅れて同じ道を歩いているようだった。

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三人の証言 - 沈黙の夕景 - 誰でも作家life