8話 有馬透の静かな手

保管庫を出たあと、僕は資料館へ戻った。

裏堤防道を抜けるころには、霧は少し薄くなっていた。けれど、薄くなったぶんだけ、町の輪郭が不自然に浮かび上がっていた。港湾会社の倉庫、本社ビル、町議会の庁舎。どの建物も見えているのに、その間を通った人間の姿だけが、霧の奥へ置き去りにされている。

右手には、証拠袋に入れた真鍮の鍵があった。左腕の内側には、保管庫から持ち出した原簿を抱えている。濡れたコートの重みが肩にかかり、泥のついた靴底が一歩ごとに床を汚した。

それでも、手のひらだけは潮の冷たさを覚えていた。

鍵を握っていた皮膚に、誰かの指が重なっているような感覚が残っている。あの夜、僕の手首をつかんだ指。止めるためだったのか、何かを渡すためだったのか。記憶の中では、その違いさえまだ曖昧だった。

資料館の玄関を開けると、館内の白い蛍光灯が目に刺さった。

外の霧と海の暗さを見てきた目には、廊下が乾きすぎて見える。壁も床も、空調の効いた病室のようだった。だが、手のひらに残る冷たさだけが、ここが海と切り離された場所ではないと告げている。

展示室から、紙を擦る音が聞こえた。

一定の間隔で、何度も同じ音がする。

僕は足を止めた。

展示室の机で、有馬透が帳票の束を整えていた。

濡れた外套を脱いだ様子もない。白いシャツの袖口だけをきちんと折り、机の上に紙を左から右へ並べている。帳票の角を揃え、ずれた一枚を抜き取り、裏返し、また同じ場所へ戻す。次に鉛筆を一本、紙束と平行になるよう置いた。少しでも角度が狂うと、指先で直す。

そこだけ時間の流れが整いすぎていた。

「お帰りなさい」

有馬は顔を上げずに言った。

「こんな時間まで、お疲れさまです」

「有馬さんこそ」

「僕は、昼間に整理しきれなかった分を片づけているだけです。紙は、夜のほうが素直ですから」

「紙が素直になるんですか」

「人の声が減ります。そうすると、紙の重なり方や、綴じ糸の癖が見えやすくなる。昼間は人間の都合が紙の上に乗ってしまうので」

有馬は微笑んだ。

僕は原簿を机の端へ置いた。封は神谷さんの署名入りで、透明な袋に収められている。濡れた水滴が袋の表面に細く流れた。

有馬の指が止まった。

ほんの一瞬だった。

すぐに、彼は驚いた顔を作った。目をわずかに見開き、口元を柔らかく開く。けれど、その驚きは僕が原簿を置くより先に終わっていた。

「見つかりましたか」

声は穏やかだった。

驚いた人間の声ではない。見つかることを知っていた人間が、見つかったという事実だけを確認する声だった。

「何をですか」

「その原簿です。旧波止場の保管庫にあるものは、もう残っていないと思っていました」

「どうして、保管庫にあると知っていたんですか」

「資料館の古い記録に、保管庫の場所が書かれていました。あなたも見ているでしょう」

「僕が見たのは、原簿があるかどうかではありません。そこへ行くこと自体を、あなたは知っていたように聞こえました」

有馬は、帳票の角を揃えた。

「霧島さんは、疲れているんですよ。干潮の旧波止場へ行けば、誰でも言葉の端が鋭くなる。冷えた手で紙を扱うと、紙の傷まで誰かの悪意に見えてくることがあります」

「僕は紙の傷を、悪意とは言っていません」

「言っていなくても、そう考えている顔をしています」

「僕の顔が、そんなに分かりますか」

「分かるというより、見ているだけです。あなたは何かを疑っているとき、相手の顔ではなく、相手の手を見る。紙を扱う人間は、手に考えが出ますから」

有馬はそう言って、自分の手元へ視線を落とした。

細い指が、帳票の端を押さえている。爪の間に汚れはない。手を拭いてから紙に触れているのだろう。けれど、袖口の内側に白い粉が付着していた。

海の潮が乾いたときに残る粉に似ていた。

紙を濡らして乾かしたあと、繊維から浮き出る白い粉にも似ている。

「袖が汚れています」

僕が言うと、有馬は自分の袖口を見た。

「ああ。資料館の地下に、古い石灰の袋がありました。展示台の補修に使うものです。触った覚えはありませんが、棚を動かしたときに付いたのかもしれません」

「地下へ行ったんですか」

「ええ。原簿が戻っていないか確認しに」

「原簿が戻っていないことを、知っていた?」

「澪さんが亡くなってから、資料館の保管資料が勝手に動かされていないか確認しています。あなたが保管庫へ行ったことを知っていたわけではありません」

「誰から聞いたんです」

「誰からも」

有馬は笑った。

「鍵が神谷さんのところへ渡っていた。あなたがそれを気にしている。篠宮さんが昨夜、旧波止場の地図を広げていた。そこから考えれば、あなたが保管庫へ向かう可能性は高い。僕でなくても、想像できることです」

「あなたは、僕がそこから何を持ち帰るかまで想像していた」

「原簿を持ち帰ると思っていたわけではありません。持ち帰らない可能性も含めて、確認したかった」

「何を確認したかったんですか」

有馬の指が、今度は鉛筆の軸へ触れた。

「あなたが、どこまで覚えているのかを」

空調の低い唸りが、展示室の天井から降りてきた。

僕は原簿の入った袋に手を置いた。ビニール越しの紙は乾いているはずなのに、保管庫の湿気がまだ指へまとわりついているようだった。

「僕の記憶を、あなたが確認する理由はありません」

「ありますよ」

有馬は、初めて僕の目を見た。

「あなたが昔ここにいたことを、僕は知っています。十年前、榊原さんの手伝いで、資料の運搬や整理をしていた。旧波止場にも行った。あの夜のことを、あなたは忘れている」

「僕が何を見たかも?」

「見たことは、覚えているかもしれません。覚えていないかもしれません」

「ずいぶん都合のいい言い方ですね」

「記憶というのは、都合よくできています。必要なものを残すとは限らない。耐えられないものを隠すこともある。あなたの場合、空白があなたを守った可能性だってあるんです」

「誰から守ったんですか」

「それは、僕には分かりません」

「分からないのに、僕の空白が僕を守ったと言う」

「あなたは、自分の記憶を取り戻したい。けれど、戻った記憶があなたを救うとは限らない。知れば、あなた自身が自分を許せなくなることもある。だから、思い出さないほうがいいこともあるんです」

「それを決めるのは、僕です」

「本当に?」

有馬の声は穏やかだった。穏やかなまま、逃げ道を狭めてくる。

「人は、自分で決めたと思っていることの多くを、誰かに用意された選択肢から選んでいます。町の記録だって同じです。何を残し、何を消し、どの順番で見せるかを決める。残ったものを見て、人は自分で判断したつもりになる。でも、最初から見せられたものしか見ていない」

「その話を、僕にするんですか」

「あなたは、記録の上ではもう一度、選び直せる位置にいるからです」

「選び直す?」

「思い出して、告発する。あるいは、思い出さずに、今の生活を守る。どちらを選んでも、あなたの自由です」

「僕が思い出さないように、何かを隠しているのは誰ですか」

有馬は答えなかった。

答えの代わりに、帳票の一枚を取り上げ、左端から二枚目の位置へ移した。ほんの数センチの移動だった。けれど、紙束全体の厚みが変わり、下に挟まれていた小さな封筒が見えた。

有馬はそれを取り出した。

古い封筒だった。表には名前が書かれていない。封の端だけが黒く汚れている。

「これは、澪さんの机にあったものです」

「開けたんですか」

「開けていません」

「嘘です」

僕は封筒の糊の跡を見た。

上から一度剥がし、別の糊で閉じた痕がある。紙が引き裂かれているわけではない。丁寧に開けて、丁寧に戻した。

有馬は封筒を机の上へ置いた。

「霧島さんは、紙のことになると本当に容赦がない」

「誰かが開けた跡があります」

「では、澪さんが一度開けたのでは?」

「封筒を閉じた糊と、開いたあとに使った糊が違います。最初の糊は湿気で柔らかくなっている。あとから閉じた部分は乾き方が早い。開けたのは最近です」

「最近、とは?」

「澪さんが亡くなる前後」

有馬は微笑んだまま、封筒の表面を撫でた。

「僕が開けたという証拠にはなりません」

「まだ、あなたを犯人だとは言っていない」

「犯人という言葉は、便利ですね。ひとりの人間へ、町全体の事情を押しつけられる」

「伊吹さんと同じ言い方をする」

「伊吹議長は、町を守ろうとしている。僕は、記録を守ろうとしている。目的は違います」

「記録を守るためなら、誰かが消えてもいいんですか」

有馬の指が止まった。

表情は変わらない。けれど、鉛筆の先が机に触れ、乾いた音を一度立てた。

「記録に残らない人間は、最初から存在しなかったことになります。あなたは、それを知っているはずです」

「僕が?」

「あなたは、あの夜に見た」

「何を」

「人が、荷物の欄へ移される瞬間を」

耳の奥で、潮が鳴った。

保管庫の机。澪さんの手。床へ落ちた帳簿。有馬の声。白い粉の付いた袖口。

頭の奥に記憶が戻りかける。けれど、僕はその景色を追わなかった。神谷さんに言われたとおり、記憶と証拠と推測を同じ場所へ置かないために。

「その話を、今する理由は?」

「あなたが原簿を持ち帰ったからです」

「僕が見たことを、あなたは恐れている」

「恐れている?」

有馬は、穏やかに笑った。

「僕は、恐怖を整理するのが得意です。紙を順番に並べるように、起きたことを一つずつ分けていく。そうすれば、どれほどひどい出来事も、扱える大きさになります」

「人間まで、帳票のように分ける」

「人間は、混ざりすぎているんです。誰かの罪、誰かの善意、誰かの沈黙。全部を一緒にすれば、誰も救えない。だから、記録にできるものだけを残す。残された記録が、その人間の最後の輪郭になる」

「あなたは、輪郭を作っているだけだと言いたいんですか」

「そうです」

「死んだ人間の輪郭を、あなたが勝手に作る」

「勝手ではありません。町が求める形に整える」

「町のために?」

「町のためという言葉が嫌いですか」

「嫌いです。そう言えば、誰も自分の名前を出さずに済むから」

有馬は、そこで初めて僕から目を逸らした。

展示室の窓の外で、霧がガラスを曇らせている。灯台の光が白く差し込み、展示ケースのガラスに細い線を引いた。線は有馬の手元を横切り、帳票の束と封筒を同じ色に染めた。

「僕は、誰かを守ろうとしただけです」

有馬の声は、さらに静かになった。

「最初から自分を守ろうとしたわけではない。誰かが捕まれば、別の誰かも巻き込まれる。記録を正せば、町全体が壊れる。そう言われて、僕は紙を一枚だけ直した。日付を一つ、番号を一つ。たったそれだけで、混乱が収まった。誰も泣かずに済んだ。誰も責められずに済んだ。だから、次も同じようにした」

「でも、消えた人間は戻らなかった」

「戻らないから、記録を整える必要があった」

「逆です。戻らないから、記録を壊してはいけなかった」

「あなたは、記憶がないからそう言える」

その言葉だけが、初めて温度を持っていた。

「覚えている人間は、何を失うか知っている。名前を残せば、家族が責められる。事実を書けば、会社が潰れる。会社が潰れれば、町の人間が路頭に迷う。あなたは、見たものを正しく書けば、それで終わると思っている。でも、書かれたあとに何が起きるかまで、誰が引き受けるんですか」

「だから、あなたが消した」

「消したのではありません。形を変えた」

「人を荷物に変えることが?」

有馬は返事をしなかった。

その沈黙は長くなかった。けれど、これまでの穏やかな沈黙とは違っていた。予測できない沈黙を嫌う人間が、初めてその沈黙を自分で壊せずにいる。

廊下から足音が近づいてきた。

神谷玲奈だった。

髪は潮風に乱れたままで、手には小さな端末と証拠袋を持っている。彼女は展示室へ入るなり、机の上の封筒と原簿を見た。視線が、僕の濡れた袖、泥のついた靴、有馬の袖口へ順番に移る。

「戻っていたのね」

「はい。原簿を確認していました」

有馬が答えた。

「あなたに確認を頼んだ覚えはない」

「資料館の資料ですから。持ち込まれたものを確認するのは自然でしょう」

「自然かどうかは私が決める。原簿から手を離して」

有馬は素直に手を引いた。引き方まで丁寧だった。机の上の紙束を乱さないように、指先を一枚ずつ浮かせる。

神谷さんは原簿の袋を回収し、僕へ向き直った。

「保管庫で見つけたものは?」

「原簿と、澪さんのメモです。メモは封筒に入っています」

「封筒は?」

僕が机の上を指すより早く、有馬が言った。

「それは澪さんの机にあったものです。中身は確認していません」

「封を開けた跡がある」

神谷さんは封筒を手袋越しに持ち上げた。

「あなたが?」

「僕ではありません」

「では誰が」

「分かりません」

「分からないものを、確認していないと言い切るのはおかしい」

神谷さんの声は低かった。

有馬は穏やかに微笑む。

「開けたかどうかは、封筒の状態を見れば分かるのではありませんか。僕が触れたことまで証明できるなら、ぜひ教えてください」

「証明はこれからする」

「そうですか」

「音声メモの再生にも立ち会いたい?」

有馬は少しだけ首を傾けた。

「澪さんが残したものなら、資料館の人間として聞いておくべきだと思います。音声の中に、資料の扱いに関する指示があるかもしれない」

「必要ない」

神谷さんは即座に言った。

「音声は捜査資料です。あなたに聞かせる理由はない」

「僕は、捜査を邪魔するつもりはありません。ただ、澪さんが最後に何を残したのかを知る権利があります」

「権利の話をするなら、まずあなたがどの資料に触れたかを記録して」

「もちろんです」

「今夜、保管室へ入った?」

「入っていません」

「旧波止場へ行った?」

「行っていません」

有馬の答えは迷いがなかった。

その迷いのなさが、かえって不自然だった。

神谷さんは端末を僕へ向けた。

「音声を再生する。あなたはそこに立っていて」

「僕にも聞かせるんですか」

「あなたには、すでに聞く必要がある」

端末から、澪さんの音声が流れた。

荒い潮音。板を擦る音。遠くで鳴る鐘。短い足音。

その音を聞いた瞬間、有馬の右手がわずかに動いた。紙束の角を揃えるためではない。何かを数えるように、指先が机を二度叩いた。

一、二。

僕はそれを見た。

有馬は、音声が終わるまで顔を上げなかった。

最後に、近すぎる吐息が入る。

端末が沈黙した。

「何か聞こえましたか」

神谷さんが尋ねた。

有馬は、すぐには答えなかった。

「潮の音と、誰かの足音です」

「それだけ?」

「それ以上は、音質が悪くて」

「あなたは、最初からその音声を知っていたように見える」

「それは心外です」

「心外かどうかは聞いていない」

神谷さんは端末を止めたまま、有馬を見た。

「あなたは再生中、二度、指を動かした。音の間隔を数えていた。初めて聞く人間の反応ではない」

「音を聞けば、誰でも間隔を取ります」

「そうかもしれない。だから、それだけでは証拠にしない」

神谷さんは証拠袋を机へ置いた。

「あなたの袖口の白い粉を採取します」

「石灰です」

「なら、調べれば分かる」

「どうぞ」

有馬は袖を差し出した。

その動作には抵抗がなかった。むしろ、疑われることさえ予定に含まれているようだった。神谷さんが粉を採取している間も、彼は机の紙束を見ていた。紙の角が一枚だけずれている。僕が気づいたときには、有馬の指がそれを直していた。

「どうして、そこまで整えるんですか」

僕は尋ねた。

「何がですか」

「紙の角です。鉛筆の向きも、封筒の位置も。誰かが何かを話している最中でも、あなたは並びを直す」

「乱れているからです」

「乱れているものがあると、耐えられない?」

「乱れたままのものは、次に何が起きるか分からない。分からないものは、人を不安にします」

「だから、あなたが先に形を決める」

有馬は僕を見た。

「霧島さん。あなたは空白を嫌っている。僕は乱れを嫌っている。似たようなものですよ」

「違います。僕は、空白を埋めたいわけではない。空白があることを、なかったことにしたくない」

「それは、きれいな言い方ですね」

「きれいに聞こえるなら、あなたが汚したものを見ていないからです」

有馬の笑みが、わずかに薄くなった。

神谷さんは採取した粉を袋へ入れ、封をした。

「今日はここまで。資料館の保管室と展示室は、私が立ち会うまで触らないで」

「僕もですか」

「全員」

神谷さんは有馬を見た。

「特に、あなた」

有馬は一拍置き、静かに頷いた。

「分かりました。警察の手順には従います」

「従う人間は、従う前に理由を説明しない」

「理由が必要ですか」

「あなたは今、僕が疑われるのは自然だと説明しようとした」

有馬は答えなかった。

神谷さんが原簿を持って展示室を出る。僕も続こうとしたが、有馬の前を通り過ぎる瞬間、彼の袖口に残った白い粉が目に入った。

潮の粉か、紙の粉か。

保管庫の奥で崩れた何かの名残か。

まだ分からない。

けれど、僕の身体はもう一つのことを知っていた。

整いすぎた手つきの人間は、整える前に何かを壊している。

廊下へ出ると、神谷さんが足を止めずに言った。

「何を見た」

「有馬さんの指が、音声の間隔を数えていました」

「他には」

「原簿が保管庫にあることを、僕が見つける前から知っていたように話しました」

「他には」

僕は、しばらく黙った。

有馬の声。澪さんのメモ。保管庫で見た記憶。白い粉のついた袖口。

「僕の記憶の中に、有馬さんの声がありました」

「それは証拠ではない」

「分かっています」

「なら、どう記録する」

神谷さんがようやく僕を見た。

「見たこと、聞いたこと、思い出したことを分けて」

「見たこと。有馬さんは原簿が保管庫にあると知っていた。音声の再生中、指を二度動かした。袖口に白い粉があった」

「聞いたこと」

「音声メモの中に、澪さんの呼吸と足音があった。有馬さんは、僕が旧波止場で見た記憶の中にいた」

「思い出したことと、推測は?」

「思い出したこと。有馬さんが帳簿へ手を伸ばし、僕がその手を払った。推測。彼が過去の改ざんに関わっている可能性がある」

神谷さんは、短く頷いた。

「それでいい」

「でも、僕はまだ、あの夜に自分が何をしたのか分かりません」

「分からないまま書けるなら、捜査は進む」

「有馬さんは、僕が何をしたかを知っている」

「知っているかもしれない」

「また、かもしれないですか」

「断定するには、まだ紙が足りない」

彼女は原簿の入った袋を持ち直した。

「だから、紙を集める。あなたの記憶を、あなたの罪にするためではない。誰かの都合で、別の意味にされないために」

廊下の窓に、灯台の光が差した。

白い光は有馬のいた展示室を横切り、閉じた扉の下から細く漏れた。向こう側では、彼が再び紙を揃えている。紙を一枚、また一枚。何事もなかったように。

僕は扉を見つめた。

あの静かな手が、何を壊し、何を残したのか。

まだ、証明はできない。

けれど、僕はもう、その手を無害なものとして見過ごすことができなかった。

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