第7話 第七話「白い石室」

石室の入口は、結界杭の下に隠れていた。
崩れた石をどかすたび、湿った土の匂いが濃くなる。城壁の外からは、まだ遠くで角笛が鳴っていた。退いた魔王軍が完全に消えたわけではない。兵士たちの怒号も、傷ついた魔獣の唸りも、薄い壁を隔てた向こう側から続いている。
「急げ」
ガルドが短く言った。
「敵が戻る前に、何があるか見ておく。だが、無理に入るな。古代の術式は、扉より先に触った指を食う」
「先に言ってください、それは」
フィアが土を払いながら耳を伏せた。
「言ったところで、お前は触るだろうが」
「触る前に匂いを嗅ぐよ。指より鼻のほうが大事だからね」
軽口を叩いているが、彼女の鼻先は何度も空気を探っていた。俺は剣を抜いたまま、入口の暗がりを見つめる。
中から風が流れている。
地下にあるはずなのに、冷たい風が一定の間隔で吹いていた。風というより、石室そのものが呼吸しているようだった。
リシェが膝をつき、入口の縁に刻まれた線を指でなぞる。白い手袋の先に、淡い光が灯った。
「防護式ではありません。これは……認証に近い」
「認証?」
「誰でも入れる場所ではない、という意味です。術式が侵入者を排除するのではなく、触れた者を測っている」
胸の奥が冷えた。
星脈石。選定の祭。数値を読み上げる白い声。
ここでも、また測られるのか。
「入るな」
ガルドが言った。
俺は振り返った。
「何か分かったのか」
「分からん。だから入るなと言っている。分からねえものへ、今のお前が突っ込む理由はない」
「でも、あの中に何かある。結界の下に、魔王軍も知らない場所が」
「知らないから危険なんだ」
「危険なら、放っておくんですか」
声が少し大きくなった。
ガルドの目が細くなる。叱られると思った。けれど、老剣士はすぐには口を開かなかった。剣帯を締め直し、石室の奥へ視線を置く。
「お前は、何でも自分で背負おうとする。グラウスに言われたことを、まだ引きずってやがるな」
「違う」
「違わねえ。守ることと、抱え込むことは別だ」
言い返そうとして、言葉が止まった。
背後で、結界の杭がまた低く鳴った。残った術式が軋み、青い光の膜に細い亀裂が走る。
フィアが耳を立てた。
「来るよ」
城外から、複数の足音が近づいていた。土を踏む音。鎧が擦れる音。魔獣の鼻息。
「時間がない」
リシェが立ち上がった。
「ここを閉じるなら、今です。開けたままなら、敵がこの場所を見つける」
「閉じ方は?」
「分かりません」
「おい」
「正確には、通常の封鎖手順が残っていません。刻まれた式が古すぎる。ですが、中心部にある核へ魔力を流せば、反応を確認できます」
ガルドが眉をひそめた。
「反応を確認してから閉じられるのか」
「確認できるだけです」
「つまり、やってみなければ分からん、と」
「現場では、よくあることです」
リシェの声は落ち着いていた。だが、手袋の指先がわずかに震えている。
俺は石室を見た。
白い光が、奥で揺れている。
あの夜の青白い光とは違う。もっと静かで、逃げ道を塞ぐような冷たさがあった。それなのに、目を逸らせなかった。
「俺が行く」
「ユウ」
ガルドの声が低くなる。
「一人では行かない。フィア、入口を見てくれ。リシェは式を読む。ガルドは――」
「俺に指図する気か」
「……一緒に来てほしい」
言ったあと、胸が詰まった。
頼ることは、まだ苦手だった。けれど、今は一人で進むより、三人の足音があるほうが怖くない。
ガルドはしばらく俺を見た。
「最初からそう言え。命令されるより、頼まれるほうがまだましだ」
彼は石室へ入った。
中は思ったより広かった。壁には古い傷が無数に残り、床には白い線が幾重にも重なっている。線の中央に、石の台座があった。
その上に、剣が立っていた。
鞘はない。刃の大半が台座へ沈み、柄だけが外へ出ている。白銀の柄頭に、夜明け前の空のような薄青い紋が刻まれていた。
足を一歩進める。
剣が、かすかに鳴った。
音ではなかった。胸の骨へ直接触れるような振動だった。
ガルドが俺の前へ腕を出す。
「まだ触るな」
「どうして」
「剣を見ろ。刃がない」
言われて気づいた。
台座から出ているのは柄だけだ。刃は石の中に埋まっているのではない。白い光そのものが、刃の形を保ったまま沈んでいる。
「抜けない剣、ということですか」
リシェが呟いた。
彼女は帳面を開き、震える手で何かを書き始めた。
「違う」
俺は言った。
「抜けないんじゃない。まだ、抜かれていない」
自分でも、なぜそう思ったのか分からなかった。
入口の向こうで、魔獣が吠えた。石室の天井から砂が落ちる。フィアの短剣が閃き、続いて兵士の叫び声が響いた。
「長くは持たない!」
彼女が叫ぶ。
リシェが床の術式を指した。
「ユウ、台座の前へ。右手を柄に置いてください」
「危険じゃないのか」
「危険です」
「……正直だな」
「嘘をついても術式は弱まりません」
俺は柄へ手を伸ばした。
指先が触れた瞬間、白い光が消えた。
石室が暗くなる。
次の瞬間、視界の中に火が広がった。
焼けた家。崩れた梁。泣き声。握った剣が重く、足元には動かない小さな影がある。
あの夜だ。
俺は息を呑み、手を離そうとした。けれど、柄が手のひらに張りついている。火の向こうから、誰かの声が聞こえた。
選べ。
誰を守る。
何を捨てる。
喉が震えた。
昔の俺なら、答えを探している間に立ち尽くしていた。全部を救える方法を考えて、何も選べないまま炎を見ていた。
けれど、今は違う。
背後にフィアがいる。入口で戦う音がする。リシェの術式が崩れかけている。ガルドが俺を見ている。
全部を守れる力なんて、まだない。
それでも、ここで手を離すわけにはいかなかった。
「俺は……」
声が掠れる。
「俺は、守るものを選ぶ。でも、捨てるためには選ばない」
握った柄から、白い熱が流れ込んできた。
石室の床に走る術式が一斉に輝く。白い光が台座から伸び、沈んでいた刃の輪郭を空中へ浮かび上がらせた。
まだ抜けない。
けれど、剣は初めて、その姿を見せた。
ガルドが息を呑む気配がした。
「……白暁」
その名を聞いた瞬間、石室の奥で何かが崩れた。
遠く、王都の城壁から鐘が鳴る。
ひとつ。
ふたつ。
続いて、結界が大きく軋んだ。
リシェが顔を上げる。
「ユウ、手を離して!」
「まだだ」
「術式があなたの星脈を取り込んでいる!」
「まだ、終わってない!」
白暁の光が強くなる。
俺は柄を握ったまま、足を踏みしめた。怖い。火の記憶も、グラウスの大剣も、今すぐ手を離せと叫んでいる。
それでも、手の中に残った白い熱を、今度は逃がさなかった。
石の奥で、刃がわずかに動く。
ほんの一寸。
白い傷が、台座に走った。
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