第5話 家計帳の余白

翌日、透は修造の遺品を改めて机に広げる。煤けた数珠、使い込まれた家計帳、消し跡の残る封筒。どれも父の手の癖が残っているのに、並べるほどに整理整頓されているのが、かえって不気味さを増幅させる。父は、死の直前までこの家で何と戦っていたのか。
ページを一枚ずつめくっていく。米と薪と灯油の欄。しかし、ある月だけ、記録の数値がどうしても合わない。家計帳の余白には、普段の収支とは全く別の筆跡で、米、布団、味噌といった生活必需品の「贈与」が記されていた。
「誰かに、運んでいたのか?」
指先でその行をなぞると、ページの端に微かな凹みを見つけた。宛名を削られた手紙の束。便箋には、夜更けに食事を運んだことへの感謝や、土間の鍵の置き場所、あるいは「決して音を立てないように」といった不気味な指示書きが断片的に残っている。便箋の紙質は黄ばんでいるのに、封の糊だけは近年貼り直したように艶が残っていた。父が、死ぬ間際までこの封を管理し続けていたという証拠だ。
父は、何かを隠していたのではない。この家の中で、ある「存在」を飼い殺していたのだ。そう考えた瞬間、透は自分の手が激しく震えていることに気づいた。書いた相手は見えず、受け取る前に紙ごと消されている。沈黙を守り続けた父の背中を思い出し、透は恐怖以上に、猛烈な憤りを感じた。

「父さん、あんたは何を守り、何を見捨てて死んだんだ。この家を維持するために、あんたはどんな『礼』を支払い続けていたんだ?」
問いかけても返事はない。ただ、帳面に書き連ねられた数字だけが、父の生存戦略を無慈悲に物語っている。夜、美緒が仏間の掃除を引き受け、位牌に触れたとき、彼女の指先がピタリと止まったのを透は見逃さなかった。新しい手入れの跡。彼女もまた、この家の異常性に気づいているはずだ。しかし、彼女は言葉を飲み込み、無言で台所へ行って湯を沸かした。
「お兄ちゃん、仏間の埃を払っただけ。それ以上、何もしていないよ」
美緒の声は驚くほど平坦だったが、湯気の向こう側で、彼女の肩が小さく震えているのが見えた。透の前の茶碗だけを拭くその手つきは、怒りか心配か、そのどちらもが声にならないまま、動作の端に重苦しく残っていた。私たちは二人とも、この家の中に充満する「何者か」の気配を認めざるを得ない段階に追い詰められているのだ。押し入れの下段にあるあの跡と、父が遺したこの家計帳。すべてが、家という器の内部で、閉じたままの罪として堆積していた。透はペンを置き、仏間に漂う線香の匂いを吸い込んだ。それは、死者が残した感謝の残り香なのか、それとも父が沈黙で塗り固めた呪いの香りなのか。その答えを探すたびに、家鳴りがまるで笑い声のように、古びた梁を震わせた。
← 横にスクロールして読み進められます
