4話 まだ朝になりきらない部室

引退試合の朝、部室の戸がいつもより早く開き、湿った人工芝の匂いが冷たい夜気を伴って細く流れ込んできた。

私は鍵を回す真柴の音を背中で聞きながら、自分の鞄の中身を何度も並べ直していた。タオル、スパイク、飲みかけのスポーツドリンク、記念メンバー表。昨夜、用具倉庫の床に置いていたはずの青いキャプテンマークだけが、鞄の底で重しのように存在感を放っている。私はその布の厚みを、指先で確かめずにはいられなかった。布切れ一枚。けれど、私にとっては主将という役割そのものだ。

ベンチ裏のテーピング跡の白さを、顧問の高槻先生が指先でなぞった。先生は、昨夜の片付けの続きをしている私に気づいても、何一つ促そうとはしなかった。ただ、倉庫の中でビブスの山を一つ直し、棚の角度をわずかに揃える。

「今日は整える日だ」

先生は私を振り返らず、短い言葉だけを置いていった。誰に向けた言葉でもない。だが、その一言で部室の空気はピンと張り詰め、朝の冷たさとは違う硬質な緊張が漂った。私は喉の奥で「はい」と短く応え、鞄を閉じようとして、また開く。

真柴が記念メンバー表を配りに回る。いつもなら両手で丁寧に手渡すはずのあいつが、今日は片手で差し出してから、慌てたように両手に持ち替えた。私は受け取る時に目を合わせたが、真柴はすぐ視線を外した。あいつも私と同じで、何かを渡す瞬間の沈黙に弱い。言葉が交わせないことの重みが、部室の隅々にまで満ちていく。

莉央が自分のロッカーの前で、靴紐を結び直しているのが見えた。三つ編みの結び目を指で押さえ、強く、何度も締め上げる。そのたびに彼女の肩がわずかに上がる。私が近づくと、彼女は一度だけ顔を上げて、それから何でもないふうにスパイクの先を見た。

「瀬川先輩。今日も、いい天気ですね」

彼女の言葉は、まるで芝の上の露のように淡々としていた。昨夜、自販機の光の下で見たあの凍りついた横顔はどこにもない。だが、結び直された髪留めの硬さには、昨夜のすべてが凝縮されていた。

「ああ、いい天気だ」

私はそう返すのが精一杯だった。部室の壁に並ぶ歴代主将の写真だけが、どの代も似た疲れた顔でこちらを見ていた。私たちが今朝、この部室でどんな空気を纏っているのかを、彼らは知っているのだろうか。私たちは、ただの高校生ではない。主将という名の、終わらせる者と継ぐ者。その狭間で、ただ呼吸を整え、今日という日をやり過ごそうとしている。

莉央が立ち上がり、私とすれ違う。その瞬間に掠めた、彼女のわずかな体温と、昨夜から続く拒絶にも似た緊張。私は、鞄の底で鈍く重みを増す青い布を思い浮かべた。もうすぐ、この重みを渡さなければならない。部室に満ちる埃と、古い木の匂いの中で、私は自分の役目がゆっくりと剥がれ落ちていく感覚を味わっていた。

「準備はいいか」

私がそう問いかけると、部室にいた全員が動きを止めた。その沈黙は、これから始まる今日が、二度と戻らない特別な終わりであることを告げていた。私は鞄を背負い、部室の扉に手をかけた。外に出れば、そこには引退試合の朝の冷たい風が、私たちを待ち構えている。

私はもう一度、歴代主将の写真を見上げた。彼らは何も語らない。ただ、次へ向かえと静かに促しているだけだった。私は莉央の背中を見つめ、真柴の揺れる視線を感じながら、部室の光が消える前にその場を後にした。青い布が、鞄の中で静かに震えていた。

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まだ朝になりきらない部室 - 青の継承 - 誰でも作家life