3話 自販機の白い光

夜のグラウンド脇にある自販機は、周囲の暗さをあざ笑うかのように、無機質な白い光を足元に落としていた。秋の夜風が人工芝の湿り気を孕んで吹き抜け、私の頬を冷やしていく。どこからか、微かにボールの転がる乾いた音が響いたが、それもすぐに闇の中に吸い込まれた。

私は一ノ瀬莉央を呼び出していた。部室棟から続く渡り廊下を歩く間、胸の中で何度も「渡す」という行為の重さを測り直した。昨夜の昼練の後、片付けの喧騒の中で言いそびれた言葉は、喉の奥で硬い石ころのように座り込んでいる。呼び出す理由など、本当は自分でも判然としないまま、足を運んだ。

「瀬川先輩」

背後から掛けられた声に振り返ると、莉央が立っていた。彼女はいつものように三つ編みの結び目を指先で整え、私との距離を測るように、数歩手前で止まった。その視線が、私の握りしめた鞄の奥を突き刺す。彼女はもう気づいているのかもしれない。私が何を持て余し、何を渡せずにいるのかを。

「こんな時間に、すみません」

「いえ。……試合の準備ですか」

彼女はそう言うと、視線を外した。三つ編みの結び目が、彼女の緊張を隠すように、いつもより少し強めに結ばれている。私は鞄の中から、青地のキャプテンマークを取り出した。使い込まれたその布は、街灯の光の下で、今日はずいぶんと色褪せて見えた。

「明日のことなんだけど」

喉に詰まった言葉を絞り出す。それが精一杯だった。しかし、言葉はそこで止まってしまった。この布を彼女に渡すということは、単なる役目の引き継ぎではない。「俺たちの時間はここで終わり、次はお前の責任だ」と、彼女の背中に重い荷物を背負わせる行為そのものだった。私はそれを、どうしようもなく怖れていたのだ。

沈黙が二人の間に落ちる。それは、冷え切った秋の夜気よりも重い。莉央は顎をわずかに上げ、挑戦的とも、あるいは悲しげとも取れるような目で私を射抜いた。

「そんなふうに見ないでください」

彼女の声は、硬く凍りついていた。それは私に対する拒絶というよりも、私に向けられる「期待」そのものに対する、彼女なりの防波堤だった。彼女は私が何を言おうとしているのか、全てを理解している。理解した上で、その重さを今の自分では受け止めきれないと、言葉の端で切り捨てているのだ。

自販機が低い唸りを上げて、冷たい缶を落とした。金属的な音が夜の静寂を切り裂く。その音を合図に、莉央は視線を完全にそらした。彼女の指先が、三つ編みの結び目をぎゅっと握り締める。その小さな身体の震えを見て、私は悟った。

「すまない、莉央。今は、まだ渡せない」

結局、私は布を渡すことができなかった。彼女もまた、それ以上を求めてはこなかった。

「……失礼します」

彼女が踵を返して去っていく。その背中は、どんな強敵を前にしたときよりも、弱々しく、そして凛としていた。夜風が私の手元の布を揺らす。渡すために呼び出したはずの夜は、やはり何も変えられないまま、私に「渡せない」という敗北を突きつけていた。

私は自販機の白い光に背を向け、校庭の闇へと歩き出した。鞄の中の青い布が、私の太ももに当たるたび、まるで心臓の鼓動のように重く響いていた。明日という日は、こんなにも遠い。私は誰に託すこともできず、ただ主将という仮面を被ったまま、暗闇を彷徨い続けていた。

結局、私は何をしたかったのだろう。率いることの快楽に浸り、終わりの責任を誰かに押し付けようとしていたのではないか。莉央のあの硬い横顔が、私の卑怯な心を見抜いていた。夜は深く、そして冷たい。私の持っているこの布切れが、いつか本当の重さを持って誰かの腕に巻き付くとき、私はようやく本当の引退を迎えるのかもしれない。

私はベンチに腰を下ろし、冷え切った空を見上げた。明日になれば、この空の下で、すべてが決まる。それまでの、ほんのわずかな猶予。私はキャプテンマークを握りしめたまま、その冷たさを指先に焼き付けた。布の硬さが、私の逃げ腰な心を、わずかに引き締めていくのが分かった。明日、試合が終わるその瞬間まで、私はこの重みを抱え続ける。それが、最後に残された主将の意地だった。

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