5話 差出人の空白

三好晴信は朝から机の上を端から順に整え、送り状番号、郵便番号、受付端末の履歴を黙々と照合していた。彼は事務的な沈黙を好む男だったが、書類に穴があると落ち着かない。灰崎朔也の名義で届いた宅配便の記録は、一見すると正規の流通を通っている。だが、差出人住所の欄だけが、切り取ったように綺麗に抜けていた。

「なりすましでしょうね」

三好はそう言ってから、言葉を足さない。言葉を足すより、番号の不整合を埋める方が先だった。だが、灯子はその判断に乗らなかった。送り状の印字、封の継ぎ目、糊の乾き方を見比べるうち、箱そのものが最近作られたものではないと分かってしまったからだ。封蝋の割れ方が古い。だが貼り直しの跡はない。古い封を新しい紙に移したのでなければ、こうはならない。

真琴は配達員の証言と来客時刻をもう一度合わせた。商店街の外から来た足ではない。灯影通りの近くで、誰かが荷を手渡したように見える。配達員は「古書店のあたりで受け取った」とは言わなかったが、雨が上がりきらない歩道のぬかるみと、荷物を持った手の向きについては妙に具体的だった。真琴はその細部だけを拾い、手帳に残す。

灯子は、灰崎が生前によく使っていた貸出票の控えと旧蔵目録を突き合わせた。そこには、店の奥の引き戸へ続く小さなメモが挟まれていたことがある。予備鍵、返却待ち、地下。三つの単語が、誰のためでもない独り言のような筆跡で並ぶ。灯子はその文字を見た瞬間、記憶の底がわずかに沈んだ。二十年前の夜、灰崎がその引き戸の前で立ち止まり、何かを言いかけたまま、結局言わずに紅茶の湯気へ視線を落としたことを思い出す。

三好は送付経路の正しさを固めようとするが、差出人住所がない以上、公的手続きは前へ進まない。書類は嘘をつかないが、書かれていない部分は何も言わない。灯子はその沈黙の空白を、書かれている文字より怖いと思った。

「刑事さん、ここを見てください。この紙片の筆跡、灰崎さんが生前に残したものと酷似していますが、筆圧の溜まり方が明らかに違います。彼は本を扱う時、頁の損傷を避けるためにごく軽い筆圧で記録を残す癖がありました。でも、この『返却先』の文字には、執念深いほど強い力が込められている。これは灰崎さんを模した誰かが、彼の死の夜に見た光景を再現するために書いたものではないでしょうか」

灯子の言葉に、三好は眉を潜めてメモを凝視した。

「模倣犯の犯行声明、あるいは死者に罪をなすりつけるための工作か。だが霧島さん、二十年という月日は、証拠品を劣化させるには十分すぎる時間だ。もし君の言う通り、誰かがこの情報を二十年間、自らの手元で温めていたとしたら、その目的は何だ? 再開発の利権か、それともこの古書店に隠されたある種の秘密か」

三好の問いかけに対し、真琴が冷めたコーヒーを飲み干して加わった。彼女は手帳に記された、かつての常連客たちの来店時間をなぞる。

「刑事さん、二十年前の夜、灰崎さんが亡くなった際、この店の常連たちは皆、異様なほど口を閉ざしていました。彼らは皆、この『地下書庫』の存在を知っていたはずよ。ただ、何がそこに隠されていたのか、それを口にすることだけは、商店街の暗黙の了解として禁じられていた。灰崎さんは、その禁忌を犯してしまったのかもしれないわね」

灯子は真琴の言葉に頷きながら、地下書庫へ繋がる鍵束を指先で弄んだ。その真鍮の冷たさが、二十年前のあの夜の硬直した空気を呼び起こす。

「ええ、そうかもしれない。有馬宗一さんは、あの夜から急に店への出入りを増やしたわ。彼は灰崎さんの死を『事故』として処理することに誰よりも積極的だった。今思えば、彼は灰崎さんが持っていた『返却先』のメモを回収したかったのよ。死者の名義で届いたこの荷物は、彼が二十年間かけても手に入れられなかった、最後のピースを求めての呼び水に過ぎないわ」

三好は黙って手帳を閉じ、真琴は新しい伝票を一枚取り出し、次の整理手順を書き始めた。雨影通りの閉館前夜、灯籠堂の時計の針は、二十年前のあの夜と、現在という新しい夜を繋ぎ合わせるために、静かに、しかし確実に刻み続けていた。

「刑事さん、この差出人の空白は、この店の歴史そのものです。誰が何を隠したのか。この空白を埋める作業が、事件の全貌を暴く唯一の鍵になる。灰崎朔也の死は、決して偶発的な事故なんかじゃなかった。この店の地下にある、閉ざされた記憶の継承者が誰であるかを証明するために、誰かが灰崎さんの死を『道具』として利用し続けたのよ」

灯子の声は低く、しかし確固とした意志を含んでいた。三好は彼女の鋭い眼差しに気圧されるようにして、再び送付記録の束を広げた。最初は悪戯だと軽視していた刑事も、ようやくこの古書店に染みついた「記憶」の重みを認めたようだ。

「……分かった。霧島さん、君の推理に賭けよう。二十年前の夜の状況と、現在の預かり棚の状態を照合しろ。書類が言わない真実は、君が守ってきたこの店の『配置』が教えてくれるはずだ」

灯子は小さく微笑み、預かり棚の隅に置かれた、目録にない一冊の抜け殻を指差した。その瞬間、古びた店の奥から、誰かが何かを動かしたような、微かな摩擦音が響いた。過去が、また一つ剥がれ落ちた音がした。

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