3話 浸食

# 第2幕 侵食 ## エピソード2 すれ違う善意と孤独の淵

バイト先のカフェの喧騒が、まるで俺一人のために用意された不協和音のように耳にこびりつく。カップのぶつかる音、客たちの抑揚のない会話、エスプレッソマシンの断末魔のような蒸気の音。そのすべてが、俺の思考を監視する巨大なシステムの構成要素に思えてならなかった。

「タケルくん、大丈夫?顔色、真っ青だよ」

カウンターの向こうから、サオリが心配そうな顔で俺を覗き込む。彼女の黒目がちな瞳が不安げに揺れるたび、俺の胸は締め付けられるような切なさを覚えた。ふわりと香る彼女のシャンプーの匂い、コーヒーを淹れるために結い上げた髪から覗く白い項。そのすべてが俺の心を掻き乱す。だが、その視線さえも、今では値踏みされているようで落ち着かない。きっと彼女の瞳に映る俺は、ただの挙動不審な同僚でしかないのだろう。

「あ、いや、大丈夫。ちょっと寝不足なだけだから」

俺はぎこちなく笑って見せた。その嘘っぽさに自分で嫌気がさす。以前はもっと自然に、冗談を交えながら彼女と話せていたはずなのに。

バイトが終わり、裏口からどんよりとした夜の空気の中に身体を滑り込ませると、壁に寄りかかる人影があった。

「よう」

ユウキだった。いつもの飄々とした態度だが、その目には隠しきれない心配の色が滲んでいる。

「……なんでここに」 「お前、最近まともに大学にも来てねえだろ。LINEしても返事ねえし。何かあったのかと思ってな」

ファミレスに入り、俺たちは安いコーヒーを挟んで向かい合った。ユウキのまっすぐな視線が痛い。こいつだけは、幼馴染のこいつだけは、信じてくれるかもしれない。俺は堰を切ったように話し始めた。街中のディスプレイに現れるメッセージ、SNSの見知らぬアカウント、そして思考を読まれているかのようなデジャヴの感覚。

一通り話し終えると、ユウキは腕を組んで深くため息をついた。その反応に、俺の心臓は嫌な音を立てて冷えていく。

「タケル……お前、本気で言ってんのか?ディスプレイが話しかけてくる?誰かがお前の心を読んでる?それは……」 「本気だよ!嘘や冗談でこんな話するかよ!俺はもう、何が現実で何がそうじゃないのか、わからなくなりそうなんだよ!お前だけは、お前だけは信じてくれると思ったのに!」

俺はテーブルを叩きつけていた。周囲の客が一斉にこちらを見る。ユウキは冷静に俺を諭すように言った。

「落ち着けよ、タケル。俺はお前のことが心底心配だから言ってるんだ。信じたいさ、親友のお前の言うことなんだから。でもな、どう考えたって現実的じゃない。最近、課題とバイトでまともに眠れてないんだろ?疲れが溜まって、幻覚を見てるんだよ。なあ、一回、ちゃんと休め。それでもダメなら、カウンセリングとか……そういう専門家の力を借りるのも一つの手だと思う。お前が壊れちまう前に、誰かに相談してほしいんだ。俺は、お前が……」

ユウキの言葉は、善意という名のナイフだった。俺の胸の一番柔らかい場所を、的確に、深く抉っていく。もう何も聞こえなかった。俺は伝票を掴むと、無言で席を立った。

「おい、タケル!」

背後でユウキが叫ぶ声が聞こえたが、振り返らなかった。夜の街は、相変わらず無数の光と音で溢れていた。だが、そのすべてが俺を拒絶しているように感じる。誰にも理解されない。サオリにも、たった一人の親友にさえも。孤独という名の冷たい水が、足元からゆっくりと俺を満たしていく。震える手でスマートフォンを取り出し、履歴の奥底にあるあの番号を呼び出す。

ザラついたノイズの向こうから聞こえてくる。この不気味な囁きだけが、今の俺を理解してくれる唯一の存在なのかもしれない。俺は無意識のうちに、発信ボタンに指をかけていた。

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