第1話 文学とAIをめぐる認識論的考察
# 第1幕 量子化された価値 ## エピソード1 文学とAIをめぐる認識論的考察
「AIが書いた小説などつまらない」――それが彼の揺るがざる信念だった。 もちろん、昨今のAIは人間が綴ったとしか思えないような驚嘆すべき文章を紡ぎ出す能力を有している。しかし、たとえそのようなAIが人間の筆になるとしか思えない卓越した小説を創造したとしても、それがAIの産物だと判明した瞬間、読み手は興醒めし、その作品への関心を失ってしまう――これが彼の確信していた論理だった。 「人は小説という媒体を通して、その彼方に存在する作家自身の世界観、そしてそこから発現する独特な視座を感受している。その世界観や視座の根底には、書き手たる人間が限られた生の時間を投じて経てきた試練と困苦、そこで味わった感情の襞が幾重にも折り重なって醸成された何かが横たわっている。AIは過去の作品群をパターンとして学習し、最も適切と思われる手法で巧妙に組み合わせているに過ぎない。そこには信念も世界観も、ましてや実存的な覚悟などは存在しない。AI登場の初期においては人々もそれを歓迎したかもしれないが、AI生成文章が世界を席巻した現在、多くの人が改めて、人間だからこそ生み出せる有機的な文章の尊さを認識し始めている」 部屋の隅で静かに耳を傾けていた男が立ち上がり、問いを投げかけた。 「しかし、そもそも生成された文章が優秀で、人間の手によるものかAIの産物かを判別できないのであれば、その出自による価値の差など問題にはならないのではないか」 「確かにその通りかもしれない。だが、私はその状態を量子力学の重ね合わせに類似した現象として捉えている。つまり、文章は最初、価値ある状態と価値なき状態とが重畳した状態で我々の前に現れる。そして読み手がそれを人間の作品だと確信するか否かによって、価値の状態が収束する。興味深いのは、後にそれがAIの作品と判明することで、一度は価値あるものとして認識された文章が無価値なものへと転じることもある、という現象だ。いずれにせよ注目すべきは、文章の価値判断の基準が、読み手がその作品に価値を見出すか否かという主観的な部分にあって、その文章が客観的真実を含んでいるか否かという点はそれほど重要ではない、ということだ。これは世界にフェイクニュースが氾濫し、現実に何が起こったかよりも、権力者にとって都合の良い物語の方が真実として流通するポスト・トゥルースの時代における価値転換の現れだと考えている」 二人目の男は深く考え込むような仕草を見せた後、再び口を開いた。 「君の論理は一面的には正しいかもしれない。だが、そこには根本的な問題が潜んでいるように思える。君は文学作品の価値を、その背後にある作家の体験や苦悩に求めているが、それは本末転倒ではないか。文学の真の価値とは、作品そのものが読み手に与える洞察や感動、そして新たな認識の扉を開くことにあるのではないだろうか」 「なるほど、興味深い視点だ。しかし、君の言う『新たな認識の扉』とは何を指しているのか。もしそれが単なる情報や知識の伝達であるならば、AIの方がはるかに効率的にそれを成し遂げることができる。人間が文学を通して求めているものは、情報ではなく、むしろ存在の意味への手がかりなのではないか」 「存在の意味、か」男は窓の外に目を向けた。
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