第3話 コタロウの意外な一喝と、キノコの下の小さな秘密
# 第2幕 キノコの裏側と、予期せぬ出会い ## エピソード2 コタロウの意外な一喝と、キノコの下の小さな秘密
くんくん。くんくん。なんだろう、この匂い。土の湿った匂いに混じって、きのこ特有の、あの、ちょっと甘くて森みたいな匂いがする。目の前にあるのは、大きな大きな緑色の傘。ひなたの匂いとは違う、日陰の、秘密の匂いだ。陽菜はさっきから「ミルク、そっちはダメよー」なんて言ってるけど、声が遠い。だって、こんなに素敵なもの、放っておけるわけがないじゃないか。ぼくの真っ白な鼻先が、その緑の傘の根元に触れる。ひんやりとして、すべすべしている。前足で、ちょん、と突いてみる。ぷにぷにしてて、なんだか面白い。これはきっと、とびきりおいしいに違いない。陽菜がいつもくれるニンジンみたいに甘いだろうか。それとも、乾燥パパイヤみたいに、もっと特別な味がするんだろうか。ぼくの頭の中は、未知の味への期待でいっぱいだった。もう一度、鼻先で強く押してみよう。そう思った、その瞬間だった。
ワンッ!
世界が、割れたかと思った。鼓膜を突き破るような、大きくて、鋭い音。心臓が喉から飛び出しそうになって、ぼくの小さな体はカチンと凍りついた。なんだ、いまの音は。雷? いや、違う。この声、知ってる。おそるおそる振り返ると、茂みの向こう、道の真ん中に、あの茶色い大きな生き物がいた。田中のおばあちゃんちの、コタロウだ。いつも散歩のとき、遠くからじっとこっちを見てる、あの大きな犬。ぼくにとっては、歩く山みたいな存在だ。そのコタロウが、口を大きく開けて、こっちを見ている。なんで? ぼくはただ、この不思議な緑の傘を調べていただけなのに。どうしてそんなに大きな声で怒鳴るんだ。
「こ、コタロウちゃん、だめよ! しーっ!」
陽菜の慌てた声が聞こえる。リードを握る手が震えているのが、首に付けられた水色のハーネスを通じて伝わってくる。陽菜もびっくりしてる。ぼくのせい? ぼくが、この緑の傘に近づいたから?
思考がぐちゃぐちゃになる。怖い。とにかく怖い。コタロウの黒い瞳が、まっすぐにぼくを射抜いているように見えた。本当はただ、一緒に遊びたくて声をかけただけなのかもしれない。本当は、臆病で優しい犬なんだって、陽菜は言っていた。でも、今のぼくには、そんなことわかるはずもなかった。あの大きな体、鋭い牙、そして地面を揺るがすような鳴き声。すべてが恐怖の塊となって、ぼくを押し潰そうとしてくる。
逃げなきゃ。
本能が叫んでいた。でも、足がすくんで動かない。陽菜が駆け寄ってくる足音が聞こえる。でも、それよりも早く、コタロウがこっちに来たらどうしよう。パニックに陥った頭で、ぼくはたったひとつの逃げ場所を見つけた。目の前の、大きな緑の傘だ。あそこなら、あの大きな体は入れないはずだ。そうだ、あの下に隠れるんだ。
ぼくは、ありったけの力で地面を蹴った。恐怖に突き動かされるように、白い弾丸となって、緑の傘へと突進する。
「ミルク!」
陽菜の悲鳴が背後で聞こえたけれど、もう止まれなかった。
ドスン、という鈍い衝撃。ぼくの頭は、思ったよりも柔らかいそれに、ずぼっとめり込んだ。きのこの傘が、まるで誰かに押されたみたいに、ぐらりと大きく揺れる。その瞬間、傘の下の暗がりから、か細い、でも確かな声が聞こえた気がした。
「ニャー……」
それは、コタロウの鳴き声とはまったく違う、小さな小さな命の声だった。
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