第6話 増長する王
# 第2幕 絶頂 ## エピソード1 増長する王
無数のシャンパングラスが掲げられ、乱反射する光が万華鏡のようにきらめく。ホテルのボールルームを埋め尽くす喝采の中心で、高橋健司は世界の頂点に立っていた。「クロノス・プロジェクト」成功祝賀会。その主役である彼は、まるで凱旋した皇帝のように、スポットライトの眩い光を全身に浴びていた。
「諸君、我々はただのプロジェクトを成功させたのではない。未来そのものを、この手で創造したのです。不可能を可能にし、停滞を前進へと覆した。それはひとえに、私のビジョンと、それを寸分の狂いもなく実行した我々の優秀さの証明に他ならない」
彼のスピーチは自信に満ち、巧みなカリスマ性が会場を支配していた。役員たちは陶酔したように頷き、部下たちは畏敬の眼差しを送る。しかし、会場の片隅で、同期の田中誠だけが冷めた表情でその光景を眺めていた。親友の言葉は、もはや自信ではなく、危険な万能感となって響いている。あの電車遅延の朝に見せた獣のような苛立ちと、今の支配者の笑みが、田中の胸の中で不気味な不協和音を奏でていた。
タワーマンションの自室に戻った高橋は、眼下に広がる宝石箱のような夜景にも目もくれず、書斎のデスクに飾られたばかりの記念トロフィーを指でなぞった。冷たく、硬質な感触。それは勝利の重みであり、彼の存在証明そのものだった。ふと、ガラスに映った自分の顔が、事業に失敗し、酒に溺れ、家族にさえ見捨てられた父親の無気力な横顔と重なり、彼は舌打ちした。
「俺はあんたとは違う…」
その呟きは、誰に聞かせるでもない、過去の惨めな自分へ向けた決別宣言だった。貧しさの中で「負け犬」と罵られた記憶。それを燃料に、彼はただひたすら上を目指してきた。ファーストボーナスで買った高級腕時計を外し、トロフィーの横に置く。二つの成功の象徴が、彼の孤独な王国を静かに照らしていた。
翌日の定例会議。議題はクロノス・プロジェクトの運用フェーズへの移行についてだった。重厚なマホガニーのテーブルが置かれた会議室の空気は、高橋の成功によって完全に彼の支配下にあった。だが、その完璧な調和を乱す者が現れた。
「高橋マネージャー、一点だけ。最終ストレステストで検出された、0.01パーセント以下の確率で発生するデータオーバーフローのリスクについてですが…」
発言したのは、入社3年目の若手技術者だった。彼は純粋な懸念から、分厚い資料を手に、誠実に問題を提起した。その瞬間、会議室の温度が数度下がったのを、誰もが肌で感じた。 カチ、カチ、カチ…。 高橋の指が、持っていた高級ボールペンを執拗にノックし始める。彼の完璧主義を刺激する、不快なノイズ。高橋はゆっくりと顔を上げ、氷のように冷たい視線で若手社員を射抜いた。
「君の名前は?」
「……はい、技術部の、木村です」
「そうか、木村君。君は今、我々が成し遂げた偉業を理解しているのかね? 君が指摘しているその『リスク』とやらは、いわば完璧な芸術品に付着した、肉眼では見えぬほどの埃だ。それを君は、あたかも建物全体を崩壊させる巨大な亀裂であるかのように語っている。なぜだか分かるかね?」
高橋は席を立ち、ゆっくりと木村の背後に回り込む。囁くような、しかし会議室の全員の鼓膜を突き刺す声で続けた。
「それは君が、恐怖しているからだ。我々が創り出したものの巨大さに、その完璧さに、君自身の凡庸な理解力が追いつかず、ただ恐怖している。そしてその恐怖心をごまかすために、『リスク管理』だの『コンプライアンス』だのといった、凡人が考え出した陳腐な盾の後ろに隠れようとしているんだ。君のような非効率で、臆病で、創造性の欠片もない思考こそが、このプロジェクトにとって最大の癌になる。君はコストだ。分かるかね、木村君。君は、我々が前進するための、ただの足枷だ」
木村は顔面蒼白になり、唇を震わせながら俯いた。もはや誰も、高橋に意見する者はいなかった。完璧な静寂と恐怖による支配。高橋は満足げに自席へ戻ると、まるで何事もなかったかのように議題を次に進めた。彼は自分の成功が絶対的な正義であり、それにそぐわない異分子はすべて排除すべきゴミだと、心の底から確信していた。その歪んだ信念が、やがて自らを食い破る刃となることに、まだ気づくはずもなかった。
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