第8話 都会の論理と田舎の感性
カラン、と乾いたドアベルの音が、午後のまどろみを破った。
迷い猫「ミミ」の手がかりは依然として掴めず、山根琴子は探偵事務所の机で頭を抱えていた。健太君の悲しそうな顔が脳裏にちらつき、焦りばかりが募る。無意識に耳の横の髪をくるくると巻く指先に、苛立ちが滲んだ。母・静子がそっと差し出してくれたハーブティーの湯気が、ぼやけた視界を揺らしている。
その時、喫茶「山猫亭」のレトロな空気を切り裂くように、一人の女性が入ってきた。シャープなラインのジャケットに、ピンヒール。都会の洗練された空気を纏ったその女性、橘梓は、店の中を見渡し、まっすぐに琴子の机へと向かってきた。
「あなたが、山猫探偵事務所の?」
値踏みするような冷たい視線に、琴子は思わず身を固くする。
「は、はい。そうですけど……」
「橘梓です。探偵をしています」
梓は名刺を差し出すと、琴子の机に散らばるメモや地図を一瞥し、ふ、と鼻で笑った。
「迷い猫探し、ですか。ずいぶんと牧歌的なご依頼で」
その言葉には、隠す気もない侮蔑が込められていた。琴子の胸に、カッと熱いものが込み上げる。
「牧歌的じゃありません!依頼人の健太君にとっては、家族同然の大切な猫なんです!」
「感情論は結構。事実と論理こそが、我々の仕事道具でしょう? その猫、名前はミミと言いましたか。特徴的な首輪をしているはずですが、何か情報は?」
矢継ぎ早の質問に戸惑いながらも、琴子は健太から預かった首輪のことを話す。すると梓は、こともなげに言った。
「ああ、それなら二日前に駅前の路地裏で見ましたよ。随分と怯えていたので、捕まえるのは諦めましたが」
「えっ、本当ですか!?」
思わぬ情報に、琴子の声が上ずる。だが、梓の態度は変わらない。彼女は思考を深めるように、左手の薬指にはめられたシンプルな指輪を、無機質な動作でくるくると回し始めた。その仕草が、琴子にはひどく冷たいものに映る。
「なぜ、もっと早く教えてくれなかったんですか!」
「教える義理が? 私には私の調査があります。それに、あなたのような感情的なアプローチでは、猫一匹見つけられないでしょうね。探偵の仕事は、依頼人に同情することでも、感傷に浸ることでもありません。事実を客観的に積み重ね、論理的に結論を導き出す、ただそれだけの作業です。あなたのやり方は、探偵ごっこというより、ただのお人好しなボランティア活動にしか見えませんが?」
梓の言葉は、鋭い刃物のように琴子のプライドを切りつけた。憧れの探偵像と、何もできない自分の現実。そのギャップを真正面から突きつけられた気がした。悔しさで唇を噛む琴子に、梓はさらに言葉を重ねる。
「探偵としての『誠実さ』とは、結果を出すこと。甘い『優しさ』や『思いやり』で依頼人の涙を拭うことではない。そこを履き違えていませんか?」
「……違う!」
琴子は、弾かれたように顔を上げた。眼鏡の奥の瞳が、まっすぐに梓を射抜く。
「結果だけが全てじゃない!人の心はどうなんです?健太君がなぜあんなに必死でミミを探しているのか、その裏にある気持ちを、あなたは考えようともしない!論理や事実だけを並べ立てて、それで人の心が救えるんですか!?『優しい嘘』の裏にある、本当の痛みを無視して、何が『誠実』ですか!それはただの、自己満足じゃないですか!」
息を切らして言い切ると、店内はしんと静まり返った。梓は一瞬、虚を突かれたように目を見開いたが、すぐにいつものクールな表情に戻る。だが、その瞳の奥に微かな動揺が走ったのを、琴子は見逃さなかった。
二人の間に、ピリピリとした緊張の糸が張り詰める。それは水と油のように決して交わらない、二つの信念の衝突だった。しかし、互いの瞳の奥に宿る、探偵としての譲れない「誠実さ」の光だけは、奇妙なほど似通っていた。
窓際の席で、老紳士の白石が静かにコーヒーカップの縁を指で撫でた。彼の深い眼差しは、まるで、遠い過去に交わった二本の糸が、今再び巡り会ったのを見届けているかのようだった。
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