13話 ミミと『優しい嘘』の真実

夕暮れのオレンジ色の光が、喫茶「山猫亭」の店内を斜めに横切っていた。カウンターに置かれた祖父のアンティーク時計が、規則正しく、しかしどこか優しく時を刻んでいる。全てのピースが揃った後の空気は、嵐の前の静けさとは違う、雨上がりの澄んだ空気に似ていた。

琴子の目の前には、小さなテーブルを挟んで佐藤健太が座っている。彼の隣には、都会の空気を纏ったままの橘梓。そして少し離れた窓際の席には、いつものように老紳士の白石が静かに座り、カップの縁を指でそっと撫でていた。

全ての事実が明らかになった今、残された最後の謎は、この小さな依頼人の心の中にだけあった。琴子は一度、眼鏡を外し、丁寧にレンズを拭いてからかけ直した。そして、健太の目をまっすぐに見つめる。彼の瞳は、真実の重さに耐えかねるように、不安げに揺れていた。

「健太君。今日、たくさんのことがわかったの。私がずっと前に失くしたスケッチブックのこと。そして、健太君が探していたミミが、本当は隣にいる梓さんの大切な猫だったこと。…いろんなことが、まるで魔法みたいに繋がった。でもね、私が一番知りたいのは、まだ聞いていないこと。健太君の、本当の気持ち」

健太の肩がびくりと跳ねた。琴子の視線を受けて、ぐっと体を縮こませる。いつもの癖で背中が丸まり、小さな指先が必死にズボンの裾を握りしめているのが、テーブルの下で見て取れた。

琴子は、その小さな手を包み込むように、優しい声で続けた。

「探偵は、嘘を見破って、本当のことを見つけるのが仕事だって、私もそう思ってた。でも、違うのかもしれないって、最近思うの。本当のことの中には、人を深く傷つけるものもあれば、言えないままの方が優しいものもある。健太君がついていた嘘は、きっとそっちの嘘だったんじゃないかな。誰かを陥れたり、自分のためにつく意地悪な嘘じゃなくて…誰かを、何かを、一生懸命に守るための、すごく、すごく優しい嘘。だから、怖がらなくていいんだよ。私や梓さんは、健太君を責めたいんじゃないの。ただ、あなたのその優しい気持ちを、ちゃんと知りたいだけ。教えてくれないかな。健太君が、ミミを探すことで、本当に取り戻したかったものは、何だったの?」

その言葉は、頑なに閉ざされていた健太の心の扉を、静かに、しかし確かにノックした。健太の肩が小さく震え始める。俯いていた顔がゆっくりと上がり、その大きな瞳には、堪えきれなかった涙が透明な膜を張っていた。

「……お父さんと、お母さんが、喧嘩したんだ」

ぽつりと漏れた声は、か細く、頼りなかった。

「ミミのことで…。お母さんは、猫アレルギーが少しあって、本当は飼うのを反対してた。でも、僕がどうしてもってお願いして…。そしたら、お父さんが僕の味方してくれて、飼ってもいいって言ってくれたんだ。でも、そのせいで、二人は時々、僕のいないところで喧嘩してた。僕、知ってた。あの日もそうだった。僕が学校から帰ったら、すごく嫌な空気で…。その次の日に、ミミがいなくなったんだ。僕のせいだって、すぐにわかった。僕がミミをちゃんと見てなかったから。僕がわがままを言ったから、お父さんとお母さんは仲が悪くなったんだって…。だから、僕がミミを見つけさえすれば、また元に戻るって思ったんだ。僕がヒーローみたいにミミを連れて帰ったら、お父さんもお母さんも喜んで、またみんなで笑ってくれるって…。だから、嘘ついた。ミミは僕の猫だって。そうしないと、誰も真剣に探してくれないと思ったから…」

堰を切ったように言葉が溢れ出し、健太はとうとう顔を両手で覆って泣きじゃくった。その嗚咽は、小さな体に抱え込むにはあまりに大きすぎる後悔と、家族への切ない愛情に満ちていた。

琴子は黙って健太の言葉を聞いていた。彼の宝物である秘密のノート。そこには、猫の探し方の情報だけでなく、両親が笑った日、喧嘩した日の印が、子供の拙い文字でびっしりと記されていた。健気な努力と、純粋な思いやり。それが、この小さな少年の「優しい嘘」の正体だった。

琴子はそっと立ち上がり、健太の隣にしゃがみ込むと、震える小さな背中を優しく撫でた。

「そうだったんだね。辛かったね。一人で、全部背負ってたんだね。…ありがとう、話してくれて」

その声は、探偵のものではなく、ただ、傷ついた心を包み込む温かい声だった。隣で聞いていた梓は、無意識に回していた指輪の動きを止め、静かに目を伏せる。論理では割り切れない絆の形が、そこには確かに存在していた。

窓際の白石は、カップをソーサーに戻すと、まるで全てを予見していたかのように、穏やかに微笑んでいた。山猫亭の時計の音が、新しい絆の始まりを告げるように、店内に優しく響き渡っていた。

← 横にスクロールして読み進められます

ミミと『優しい嘘』の真実 - はい、こちら「山猫探偵事務所」です! - 誰でも作家life