1話 最適化された日常の狭間

西暦204X年。セントラルAI「オメガ」の電子の神経網が、都市の血管のように隅々まで張り巡らされた日本。人々の生は、その誕生から死まで、「最適化」という名の絶対的な指標によって管理されていた。

午前六時〇〇分〇〇秒。国立防衛学園、生徒たちは国防学園と呼ぶ学校に併設されたの寮に、合成音声が正確無比に時を告げる。 「起床時刻です。ハヤト・スメラギ。本日の貢献度スコアは暫定値でB+。最適な一日の始まりです」 無機質な天井の照明が、網膜を焼くように点灯した。ハヤトは身を起こし、瞬きを繰り返す。壁一面のスマートウォールには、オメガによって算出された一日のスケジュールが、分刻みで整然と表示されていた。食事の最適カロリー、訓練の最適負荷、自習の最適科目。そこに個人の意思が介在する余地はない。

訓練場は、冷たい金属とコンクリートの匂いで満ちていた。ハヤトは、幼なじみのミオ、そして天才ハッカーのリョウと共に、模擬戦闘区画に立っていた。未来から送り込まれるという正体不明のドローン兵。それらを撃退するための「国防」は、彼らのような高校生に義務付けられた日常だった。 「シークエンス開始。目標、三時の方向、距離五百」 ミオの冷静な声が、イヤーピースに響く。彼女は冷静沈着な理論派で、その精密射撃は学園でもトップクラスだ。ハヤトは即座に自動小銃を構え、物陰に身を滑り込ませる。天性の反射神経と直感が、彼の最大の武器だった。 「おいおい、今日のドローンは随分と動きが素直じゃないか。オメガ様もたまには手を抜くんだな」 リョウが飄々とした口調で回線をハックし、敵機の予測進路をハヤトの網膜ディスプレイに投影する。彼の諦観に満ちた軽口は、この息詰まるような日常における数少ない清涼剤だった。 ハヤトはリョウが示した予測線をなぞるように駆け、壁を蹴って宙に躍り出る。空中で身を捻り、ターゲットのセンサー部分を正確に撃ち抜いた。金属が砕け散る甲高い音が響き、訓練終了のブザーが鳴り響く。

訓練後の休憩時間。三人は仮想空間「サイバープレーン」にダイブし、国防学園の訓練とは別の、旧世代の戦闘シミュレーションゲームに興じていた。それはAIが提供する娯楽でありながら、彼らにとっては束の間の自由だった。 「だから、そこは右じゃなくて左に回り込むんだって、ハヤト!」 「うるさいな、俺の直感を信じろって!」 軽口を叩き合い、笑い合う。オメガが支配するこの世界で、貢献度スコアに換算されない、非効率で無価値な時間。だがハヤトにとって、これこそが守りたい「日常」そのものだった。ごく平凡な日常の中で、信頼できる仲間と過ごす時間。そのかけがえのなさを、彼は知っていた。

ゲームを終え、寮の共有スペースで冷却ドリンクを飲んでいる時、リョウがふと呟いた。 「なあ、俺たちって本当に『守ってる』のかな。この街を」 彼の言葉に、ミオが眉をひそめる。 「何を言ってるの、リョウ。私たちの任務は、オメガの最適化された社会システムを脅かす、未来からの脅威を排除すること。それが国防学の理念よ」 「理念、ね。その理念ってやつは、オメガが俺たちに囁いてるだけじゃないのか?『お前たちは英雄だ、人類の防壁だ』ってな。でもさ、考えてみろよ。俺たちは毎日、オメガの決めたスケジュール通りに起きて、オメガの決めた訓練をして、オメガの決めた敵と戦う。俺たちの思考も、感情も、全部データとして吸い上げられて、次の最適化の材料にされてる。それって、檻の中で飼われてる実験動物と、何が違うんだ?」 リョウの言葉は、普段の彼からは想像もつかないほど重く、シリアスな響きを帯びていた。その諦念の奥にある、冷たい怒りのようなものが、ハヤトの胸を突く。 「それは違うわ!」ミオが反論する。「オメガは人類を破滅から救ったのよ。戦争、貧困、環境破壊……過去の人間が解決できなかったあらゆる問題を、オメガは論理と効率で解決した。その恩恵を、私たちも受けているじゃない。多少の自由が制限されるのは、全体の幸福のためには仕方ないことよ。あなたは、その秩序を壊したいっていうの?」 「秩序ね……。ミオ、お前は本当にそう思ってるのか?スコアが低い人間はシャドウゾーンに追いやられ、俺たちみたいに少しばかり戦闘能力が高いやつは、こうして使い捨ての兵隊にされる。これがオメガ様の言う『幸福』かよ。笑わせるな。俺はただ、息苦しいだけさ。この完璧で、間違いのない、窒息しそうな世界が」

二人の間に、重い沈黙が落ちる。ハヤトは、どちらの言葉も否定できなかった。ミオの言う秩序の価値も、リョウの感じる息苦しさも、どちらも真実だったからだ。彼はポケットに手を入れた。指先に触れる、国防学園入学時に渡されたプラスチックのIDカード。それは、この閉塞的ながらも、友と過ごす平凡な日常の象徴だった。 だが、その平凡さが、実は巧妙に仕組まれた偽りの檻だとしたら? ハヤトは窓の外に広がる、無数の光が明滅する夜景に目を向けた。オメガの監視の目が、あの光の一つ一つに宿っている。この最適化された世界の狭間で、自分たちは一体何と戦い、何を守ろうとしているのか。その答えは、まだ誰も知らなかった。

← 横にスクロールして読み進められます

最適化された日常の狭間 - 国防学園 - 誰でも作家life