1話 太陽の塔への道

ガードマンの制服のボタンが陽に光って、警察官の警棒が宙を切る音が聞こえて、群衆の靴音がアスファルトを叩いて、太陽の塔の目玉がこちらを見下ろして、大屋根の穴から見える青空が切り取られた円になって、アナウンスが何かを叫んでいて、子供が泣いていて、カメラのフラッシュが光って、誠司が両腕を掴まれて、口を動かして何かを言っているけれど声が聞こえなくて、「ごめん」と言っているような気がして、でも確信が持てなくて、風船が空に舞い上がって、ソフトクリームが地面に落ちて、外国人観光客が「EXPO 70」と書かれたパンフレットを手に写真を撮っていて、スピーカーから『世界の国からこんにちは』が流れて、誠司の顔が遠ざかっていって、制服の男たちが彼を囲んで、私の手が宙に浮いたまま、彼に向かって伸びたまま、でも届かなくて、万博の人波が私たちの間を横切って、まるで何事もなかったように笑顔で歩いていって、太陽の塔の腕が大屋根を突き破って空を指して、雲がゆっくりと流れて、誠司が振り返って、彼の目が私を捉えて、でもすぐに視線を逸らして、警察官に促されて歩いていって、私はただそこに立っていて、人々が私の周りを流れていって、まるで私が透明人間になったみたいで、でも心臓の音だけがやけに大きくて、太陽の塔の口が不気味に笑っているみたいで、空が青くて、雲が白くて、でも世界が灰色に見えて。  けれど今朝、私は幸せな一日しか想像していなかった。  京都の寮を出るとき、鏡に映った自分の顔は輝いていた。薄いピンクのブラウスに紺のミニスカート、お気に入りのローヒールの靴。髪を後ろで一つにまとめて、少しだけ口紅を塗った。誠司との初めてのデートらしいデート。これまでの二人で会うのは、いつも夜のジャズ喫茶か、大学近くの薄暗い映画館だった。明るい陽射しの下で、普通の恋人たちのように歩くのは初めて。  「万博なんて興味ないの」と言ったのは先月のことだった。木屋町の『マイルス』で、ゲーンズブールの『イニシャルB.B.』を聴きながら、私は誠司にそう言った。彼はウイスキーを一口飲んで、「それなら一緒に行こう」と微笑んだ。「君の目で見た万博を聞かせてほしい」  誠司は私より三つ年上で、早稲田大学を中退して関西に出てきた。学生運動の残り火が燻る中、彼は小さな劇団で前衛演劇をやっていた。胸に小さなゲーンズブールのバッジをつけて、いつも薄い笑いを浮かべながら、世界の不条理について語った。私は彼のその虚無的な美しさに魅せられていた。  阪急電車の車窓から見える風景は、いつもより鮮やかに見えた。田んぼの緑、住宅の屋根の色、空の青。すべてが映画のワンシーンのようだった。隣に座った誠司は、いつもより静かで、時々窓の外を見つめては何かを考え込んでいた。  「どうしたの?」と聞くと、彼は振り返って微笑んだ。「何でもない。ただ、今日は特別な日になりそうだと思っていただけ」  万博会場に着いたとき、私は思わず息を呑んだ。太陽の塔の巨大さ、人々の熱気、色とりどりのパビリオン。すべてが非現実的で、まるで未来の世界に迷い込んだようだった。  「すごいわね」と私は言った。  「ああ」誠司の返事は短かった。「これが日本の未来らしい」  私たちは手をつないで会場を歩いた。アメリカ館の前では長蛇の列ができていて、ソ連館では宇宙開発の展示に人だかりができていた。子供たちが風船を持って走り回り、カメラを持った観光客があちこちで記念撮影をしていた。  「月の石を見に行きましょう」と私は提案した。  「その前に、ちょっと寄りたい場所がある」誠司は言った。  私たちは太陽の塔の前の広場に向かった。そこには既に何人かの若い男女が集まっていた。皆、誠司と同じような雰囲気の人たちだった。薄汚れたジーンズに軍用コート、長い髪に鋭い目つき。  「誠司」、一人が声をかけた。「時間通りだな」  私は混乱した。「誠司、この人たちは?」  誠司は私を見つめた。その目には申し訳なさそうな色があった。「陽子、ごめん」  世界が一瞬止まったような気がした。私の手から誠司の手が離れた。周りの仲間たちが何やら準備を始めていた。横断幕、拡声器、アジビラ。  私は誠司の顔を見つめた。昨夜まで優しく私を抱きしめていた彼の腕が、今は他の何かのために振り上げられようとしていた。  「始めるぞ」の誰かの声と共に、突然デモが始まった。横断幕が広げられ、シュプレヒコールが響いた。観光客たちが驚いて振り返った。子供が泣き出した。  私はただそこに立っていることしかできなかった。万博を楽しむ人々と、それに抗議する人々。私はそのどちらでもなく、ただ誠司を愛していただけだった。  そして警備員が駆けつけて、警察官が現れて、誠司が捕まって、私の世界が崩れ落ちて。  太陽の塔の目が、今も私を見下ろしている。まるで「それ見たことか」と言っているみたいに。  私は一人で立っていた。万博の喧騒の中で、完全に一人で。誠司は連行され、彼の仲間たちも散り散りになった。残されたのは私と、地面に落ちた横断幕と、太陽の塔だけ。  「お嬢さん、大丈夫ですか?」  警備員の一人が声をかけてきた。私は頷いた。大丈夫。大丈夫なわけがない。でも、大丈夫だと言うしかない。  私は歩き始めた。どこへ向かうでもなく、ただ歩いた。人々の笑い声が耳に痛く響いた。子供たちの無邪気な声が、心に刺さった。ここは未来への希望に満ちた場所だった。でも私にとっては、愛の終わりを告げる場所になった。  セルジュ・ゲーンズブールの『ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ』の歌詞が頭の中で繰り返された。「愛してる、いや、愛してない」。まるで今の私たちの関係を歌ったみたい。  太陽の塔を振り返った。それは変わらずそこに立っていた。私の恋が終わろうと、世界が変わろうと、ただそこに立ち続けるのだろう。  今朝まで私は幸せだった。そして今、私は一人だった。万博という名の巨大な夢の中で、完全に一人だった。

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太陽の塔への道 - 幸福未遂 - 誰でも作家life