10話 声の宛先

面接室は、待機フロアより狭かった。

長机の向こうに、面接官が三人並んでいる。中央の男の人が書類をめくり、左端の女性が時計を確認した。右端の面接官だけが、僕と澪を交互に見ている。

椅子は二つ。

僕と澪は、案内された順番のまま、少し離れて座った。

扉が閉まる。

その音だけで、背中に張りついていた廊下が切り離された気がした。空調の音はここでも低く続いている。けれど、逃げ道がないぶん、音の輪郭がはっきりしていた。

「それでは、始めます」

中央の面接官が言った。

僕は膝の上で手を組んだ。腕章へ触れないようにするためだった。触れなくても、指先は落ち着かなかった。

「まず、岸本さんから。志望理由を話してください」

来た。

用意していた文章が、頭の中に浮かぶ。

地域連携活動を通じて、多様な声に耳を傾け、情報発信の役割を担う中で――。

そこまでは言えた。

「私は、地域連携ボランティアや放送部の活動を通じて、誰かの声を正しく届けることの重要性を学びました。大学では情報発信について学び、将来は――」

その先で、言葉が止まった。

将来は、何になる。

原稿には、続きがあった。地域の課題を発信する人材。公共性の高い情報を扱う職業。誰もが必要な情報にアクセスできる社会。

どれも間違っていない。

間違っていないから、僕の言葉ではなかった。

中央の面接官が顔を上げた。

「岸本さん。続きをどうぞ」

「……すみません」

喉の奥が乾いた。

隣で、澪が身じろぎする気配がした。けれど、こちらを見なかった。見ないまま、待っている。

廊下で聞いた声が、頭の中に残っていた。

黙って終わらせない。

僕は一度、息を飲み込んだ。

「すみません。今の続きは、用意してきた言葉です」

面接官のペン先が止まった。

「用意した言葉では、答えられないということですか」

「はい」

返事をした瞬間、胸の奥が冷たくなった。こんなことを言っていいのか分からない。面接で、自分の準備不足をわざわざ示す理由などない。

それでも、もう後戻りできなかった。

「僕は、誰かの声を正しく届けたいと思っています。でも、正しくという言葉を使うたびに、相手の言葉を自分の都合のいい形に整えてしまう気がしていました。放送部では、聞きやすい文章に直すことが必要です。生徒会でも、意見をまとめるために、角を削ることがあります」

声が少し震えた。

「でも、角を削りすぎると、その人が何に傷ついていたのか分からなくなる。自分が聞きやすいように整えただけなのに、届けたつもりになってしまう。僕はそれが怖いです」

左端の面接官が、初めて顔を上げた。

「では、あなたの考える『届ける』とは何ですか」

すぐには答えられなかった。

隣の澪が、膝の上で指を組み直す。赤いネクタイピンが、視界の端で小さく光った。

僕は彼女を見なかった。

見れば、また彼女の言葉を借りたくなる気がした。

「……相手の言葉を、きれいにすることではないと思います」

声が、少しずつ戻ってきた。

「言いにくそうにしているところや、途中で止まったところも含めて、その人の声として扱うことです。僕は、これまで人の言葉を整えることばかり考えていました。でも、それでは届かないことがある。うまく言えない人の隣で、言えるまで待つことも、届けることの一部だと思います」

面接官は何も言わず、記録用紙へ目を落とした。

その沈黙が、以前なら失敗の合図に聞こえただろう。けれど今は、言葉を置くための余白に思えた。

「ありがとうございます。では、白石さん」

中央の面接官が澪へ向いた。

「あなたの志望理由をお願いします」

澪は背筋を伸ばした。

けれど、ネクタイピンは直さなかった。

「私は、文章を通して、声を持つことが難しい人を支えたいと考えています」

澪の声は静かだった。よく通るが、いつものように隙がないわけではない。

「文芸部の活動では、部員の作品を読む機会が多くあります。私はこれまで、文章の構成や表現を整えることが自分の役割だと思っていました。ですが、整えることによって、書いた本人が本当に言いたかったことまで薄めてしまう場合があります」

僕の指が、膝の上でわずかに動いた。

「そのため、私は相手の文章を直す前に、なぜその言葉を選んだのかを聞くことを大切にしています」

右端の面接官が尋ねた。

「それは、効率が悪いのではありませんか。限られた時間の中で、すべての事情を聞くことは難しいでしょう」

「はい。効率は悪いと思います」

澪は一拍置いた。

「でも、効率を優先して、本人の言葉を失わせたら、支えたことにはならない。少なくとも私は、時間がかかることを理由に、分かったつもりにはなりたくありません」

面接官の視線が、僕たちの間を行き来した。

「お二人とも、似た内容を話していますね」

胸の奥が跳ねた。

澪も、わずかに目を伏せる。

「岸本さんは声を届けること、白石さんは文章で支えること。違いはどこにあると思いますか」

僕は、反射的に澪を見た。

彼女もこちらを見た。

その目に、答えを求める色はなかった。先に言ってほしいわけでも、譲るつもりでもない。ただ、隣にいることを確かめるような視線だった。

「違いは、方法だと思います」

僕は言った。

「僕は、声にして外へ出すことを考えてきました。白石は、言葉を選んで、書いた人の中にあるものを残すことを考えている。たぶん、僕は外へ出すことを急ぎすぎて、白石は残すことを慎重に考えすぎる」

「岸本さん」

澪の声が、わずかに僕を制した。

「それは評価かしら」

「観察」

「ずいぶん勝手な」

「お互いさまだろ」

言ってから、ここが面接室だと思い出した。

面接官の一人が、口元をわずかに緩めたように見えた。

澪は前を向いたまま、続けた。

「でも、岸本さんの言う通りかもしれません。私は、言葉を慎重に扱うあまり、届ける前に止めてしまうことがあります」

「僕も、届けたいと思うあまり、相手の言葉を先にまとめてしまう」

僕は続けた。

「だから、同じ夢だとは思いません。ただ、同じところで失敗しやすいのだと思います」

室内が静かになった。

空調の音と、面接官のペンが紙を擦る音だけが聞こえる。

やがて中央の面接官が、書類を閉じた。

「最後に、あなたたちが大学で身につけたいものを一つずつ答えてください」

澪が先に答えた。

「待つための強さです」

僕は、その言葉を聞いてから口を開いた。

「言い切れない人のそばにいるための、声です」

面接官が頷く。

「以上です」

椅子から立ち上がる。

足元が少しふらついた。けれど、腕章へ手を伸ばすことはなかった。

扉を開けると、廊下の空気が戻ってきた。白い壁、低い空調音、遠くで呼ばれる番号。

澪が隣に出てくる。

「あなた」

「何」

「面接で、私を評価したでしょう」

「観察だ」

「同じことよ」

「じゃあ、お互いさまだ」

澪は少しだけ口元を緩めた。

笑ったのかどうか、僕にはまだ分からない。

けれど、赤いネクタイピンは傾いたままだった。

僕はそれを直さなかった。

澪も、僕の腕章には触れなかった。

ただ、二十三番と二十四番の受付票が、鞄の中で隣り合っている。その紙の擦れる音だけが、面接室で置いてきた言葉の続きを、かすかに運んでいた。

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声の宛先 - 隣席の敵 - 誰でも作家life