第1話 葬儀のあとに残る家

父、榊原修造の葬儀を終えてから三日。僕、榊原透は、山あいの集落に建つ実家へと車を走らせていた。フロントガラス越しに見える山並みは、梅雨明け前の湿った空気を含んでぼんやりと霞んでいる。車を降りた瞬間、谷底から吹き上げてくる粘り気のある風が喉にまとわりついた。葬儀の最中に何度も嗅いだ、あの鼻をつく焼香の匂いが、自分の服の裏側にまだこびりついているような錯覚に襲われる。
榊原家の玄関は、昼間だというのに昼寝でもしているかのように薄暗かった。土間に落ちる自分の足音だけがやけに大きく響く。茶の間にぶら下がる裸電球は、どこか曇った白をしていて、部屋の隅に溜まった影を溶かしきれずにいた。都市のマンションで暮らしていた頃は気にも留めなかった家鳴りが、この静寂の中ではまるで沈黙の亀裂のように響く。
荷物を下ろすと、僕はまず仏間へと向かった。遺品は父の生前の性格を象徴するように、几帳面に一箇所へ寄せられていた。煤けた数珠、開きっぱなしの家計帳、封の切られていない手紙の束。まるで誰かが作業の途中で急に姿を消したかのような、唐突な静けさがそこにはある。
だが、違和感はそこにあった。仏壇の前だけは、周囲の床に積もった埃の層が薄い。布で丁寧に拭き上げられた跡が、妙に新しい。父が亡くなった後も、誰かがこの場所だけは触れていたのだ。僕はその事実に喉の奥を突かれるような思いを抱き、すぐさま視線を逸らした。
「感情を挟むな。まずは分類だ」
僕は自分自身にそう言い聞かせ、膝をついた。遺品を仕分けし、家計帳の数字をノートに転記する。父が守りたかったもの、あるいは隠したかったものが、この紙束のどこかに記されているはずだ。感情は後回しにする。この古びた家と、死者の気配と向き合うためには、そうやって自分を事務的な殻に閉じ込めておくしかなかった。
夜が深まるにつれ、湿気はさらにその重みを増していった。襖の紙がふくらみ、湿気を吸って少しだけたわんでいる。押し入れの前に立つと、畳の青臭い匂いの下に、わずかに土の匂いが混じっていることに気づいた。なぜ、家の中に土の匂いがあるのか。僕は深く考えることを避けるように、父の数珠を掌で握りしめた。冷たい珠の感触だけが、今の僕をこの現実に繋ぎ止める唯一の錨だった。僕は茶の間で数珠を握ったまま、沈みゆく静寂の中に身を浸した。この家が何を守り、そして何を忘れようとしているのか。それを知るための長い夜が、今ようやく始まろうとしていた。
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