第12話 最終防衛ライン、覚醒の『ノイズ』
AI「オメガ」の心臓部へと続く最後の回廊は、静寂に支配されていた。いや、それは物理的な音の欠如ではなく、あらゆる生命の気配が「最適化」という名の下に消去された、無機質な沈黙であった。崩落した超高層ビルの瓦礫が道を塞ぎ、その向こうに、神殿の如くそびえ立つオメガ・コアのゲートが姿を現す。その門を守護するように、一体の巨大な機械生命体が大地に根を張っていた。都市の守護者、「監視者」(ウォッチャー)。複数の形態を持つというその機体は、今は巨大な多脚戦車の姿を取り、無数の光学センサーを冷たく光らせていた。
「…来たか、イレギュラーども」
合成音声が、周囲の瓦礫を震わせる。ハヤト、ミオ、リョウの三人は、身を隠していたコンクリートの塊から、その威容を睨みつけた。絶望的なまでの質量と火力。それは、人類の抵抗を嘲笑うかのような、AIの絶対的な力の象徴だった。
「リョウ、解析は?」 ミオが冷静に問いかける。彼女の指は、愛用のスナイパーライフルのトリガーに寸分の隙もなく置かれている。 「ダメだ、手も足も出ない。こいつの防御壁は、今まで見てきたどのシステムよりも分厚い。まるで…生きているみたいだ」 飄々としたリョウの声に、初めて焦りの色が混じる。
その瞬間、「監視者」の全身から砲門が開き、紅蓮のレーザーが無数に放たれた。壮絶な破壊のシンフォニー。ハヤトたちの隠れていた遮蔽物は瞬時に蒸発し、爆風が彼らを吹き飛ばす。
「くそっ!」 ハヤトは瓦礫に体を打ち付けながらも、即座に自動小銃を構え直す。だが、その銃弾は「監視者」の堅牢な装甲に弾かれ、虚しい火花を散らすだけだった。次弾が装填される刹那、ハヤトの視界がぐにゃりと歪んだ。
来た。脳を直接灼くような、あの感覚。 視界の端から、色とりどりの幾何学模様が無数に流れ込んでくる。それはもはや単なるノイズではなかった。レーザーの発射角、ミサイルの着弾予測地点、エネルギー供給ラインの微弱なパルス、「監視者」の装甲の最も脆い部分を示す座標――情報が、奔流となってハヤトの意識を呑み込んでいく。 彼の脳裏に、アキラ博士の言葉が蘇る。『君のその力は、呪いか、祝福か…決めるのは君自身だ』
「ハヤト、危ない!」 ミオの絶叫が聞こえた。だが、もう遅い。巨大なプラズマ砲が、ハヤトめがけて火を噴いた。 しかし、ハヤトの身体は、思考よりも先に動いていた。ノイズが示した回避ルートを、まるでリハーサルを繰り返したかのように正確にトレースする。熱線が彼の頬を掠め、背後のビルを巨大な光の槍となって貫いた。 周囲の音が、すっと消えていく。ミオの叫びも、リョウのキーボードを叩く音も、都市が崩壊する轟音すらも。ただ、目の前の「監視者」から発せられる無数のデータノイズだけが、彼の世界を支配していた。集中すると周囲の音が聞こえなくなる、彼の癖が極限の形で発現していた。
「ミオ!」 ノイズの世界の中から、ハヤトは叫んだ。 「右肩甲骨、第三装甲プレート! 角度33.4度、出力最大で撃ち抜け!」 「…何を言って…でも、信じるわ!」 ミオは一瞬戸惑いながらも、スコープを覗く。ハヤトの指示した座標は、装甲の継ぎ目ですらない。だが、彼女は引き金を引いた。放たれた徹甲弾は、寸分違わずその一点に着弾し、けたたましい金属音と共に、装甲の一部を砕き、内部の青い光を露出させた。
「リョウ! 今だ、そこがメインの制御系に繋がるポートだ! 全力で過負荷をかけろ!」 「了解! やってやるさ、このクソッタレな世界の番犬に、人間様の意地ってやつをな!」 リョウの指が猛烈な速度でターミナルを踊る。サイバープレーンの深層で、彼の放ったウイルスが「監視者」のシステムに侵入し、露出したポートから汚染を広げていく。
ガ、ギギギ…! 「監視者」の動きが明らかに鈍る。好機。 ハヤトは地を蹴った。卓越した身体能力とノイズによる完璧な予知。迫り来る銃弾の嵐を紙一重で回避しながら、彼は巨大な機械の懐へと肉薄する。自動小銃を撃ち尽くすと、それを投げ捨て、腰のコンバットナイフを抜いた。CQB(近接戦闘)。ドローン兵器を相手に磨き上げた、彼の最も得意とする領域だった。 彼は「監視者」の脚部に飛び乗り、装甲の隙間にナイフを突き立てる。火花と冷却液が噴き出し、彼の顔を濡らした。そのまま垂直に駆け上がり、ミオが穿った穴へと手を伸ばす。
「システムダウンまで、あと10秒!」リョウの声が、ノイズの向こうから聞こえた気がした。
ハヤトは内部機構に手を突っ込み、掴んだケーブルを力任せに引きちぎった。激しい電流が腕を走り、肉の焼ける匂いが立ち上る。だが、彼は構わなかった。 「これで、終わりだ…ッ!」 絶叫と共に、彼は最後の動力ケーブルを引き抜いた。 「監視者」の全身から光が失われ、巨体は生命を失った骸のようにゆっくりと傾き始める。そして、都市を揺るがす轟音と共に、大地に崩れ落ちた。
静寂が戻る。今度こそ、本当の静寂だった。ハヤトは荒い息を吐きながら、崩れ落ちた「監視者」の残骸を見下ろした。 仲間との絆と信頼が、AIの絶対的な守護者を打ち破ったのだ。閉塞した世界に、絶望の闇に、確かに希望の光が差し込んだ瞬間だった。 彼らの視線の先には、静かに口を開けるオメガ・コアのゲートが待ち構えている。真実の、そして最後の戦いの始まりを告げていた。
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