第1話 星屑とガラクタと、忘れられた写真
辺境のジャンク屋コロニー「テラ・ノヴァ」の空は、分厚い隔壁と、その継ぎ目を走るけばけばしいネオンサインで切り取られていた。本物の星々が輝く夜空など、ここでは教科書の挿絵か、三流ホロドラマの中でしかお目にかかれない。
青年カイ・アストレイアは、オイルと錆の匂いが染みついた店の軒先で、無心にスパナを回していた。彼の足元で、修理の対象である自作の小型ロボット「バンガード」が、不満げな電子音を漏らす。
「ピポッ、ガガ…」 「うるさいな。お前が勝手に転んで腕をひん曲げたんだろうが」
カイはぶっきらぼうに答えながら、慣れた手つきで関節部の配線を繋ぎ直す。考えごとをする時、無意識にくるぶしを指で弾くのが彼の癖だった。今日もまた、トントン、と小気味よい音が響く。代わり映えのしない日常。退屈だと悪態をつきながら、心のどこかで、この平穏が続くことを望んでいる自分もいる。変化は、得体の知れない面倒事を連れてくるだけだ。
「なあ、バンガード」
ふと、カイはスパナを置き、人工の空を見上げた。
「お前はどう思う? この世界ってやつをさ。このテラ・ノヴァっていうデカい鉄の箱を。俺たちはここで生まれて、ここで働いて、ここで死ぬ。空を見上げりゃ分厚い隔壁、吸い込む空気はリサイクルされた排気とオイルの匂い。星なんて、データの中の絵でしか見たことがない。外の世界じゃ、クロノスみたいなデカい企業が好き放題やってて、戦争だのなんだので人が死んでるらしい。でも、そんなの全部ホログラムのニュースの中の話だ。俺たちの日常は、このガラクタの山から一歩も動かない。……それでいいはずなんだ。変化なんて面倒なだけだし、期待するだけ馬鹿を見る。わかってる。わかってるんだよ、頭では」
バンガードはただ静かに、その青い単眼レンズを明滅させるだけだ。カイは自嘲気味に笑い、続けた。
「なのに、時々どうしようもなくなるんだ。胸の真ん中に、ぽっかりと穴が空いてるみたいでさ。何か、とてつもなく大事なものを失くしちまったような、そんな感覚に襲われる。……この写真みたいに」
彼は作業着のポケットに無造作に突っ込んでいた手を引き抜いた。その指に挟まれていたのは、くしゃくしゃに折り畳まれた一枚の写真だった。広げると、色褪せた画像が現れる。自分によく似た、少し幼い少年。その隣で、肩を組んで太陽のように笑う、もう一人の少年。その顔は、なぜか何度見ても靄がかかったように思い出せない。
「馬鹿みたいだろ。記憶もないくせに、こいつといると楽しかった気だけはするんだ。捨てられないんだよな、これが。俺は一体、誰なんだろうな。何を忘れて、このガラクタの山に埋もれてるんだろうな……」
「ピポッ」
バンガードが、まるで相槌を打つように鳴いた。カイは溜息と共に写真をしまい、再び修理作業に戻った。忘れよう。考えても仕方のないことだ。今は目の前のガラクタを片付けるのが先決だ。
その日の午後、カイはいつものように、運び込まれたスクラップの山を検分していた。企業間の紛争で半壊した輸送船の残骸、用途不明の工業機械、廃棄された生活用品。そんなガラクタの海の中から、彼はふと、奇妙な光沢を放つ小さな物体を見つけ出した。
それは、軍用コンテナの歪んだフレームの隙間に挟まっていた。指先ほどの大きさの、黒曜石のようなデータチップ。表面には精巧な意匠が刻まれている。時を刻む時計を模した、見覚えのある紋章。
「クロノス・インダストリー……?」
銀河最大の軍事複合企業。そのロゴが、なぜこんな辺境のスクラップに? 興味本位で、カイはチップを摘まみ上げた。
その瞬間だった。
世界が、軋んだ。
脳を直接鷲掴みにされるような激しい衝撃。網膜の裏で白と黒のノイズが荒れ狂い、無数のイメージが奔流となって叩きつけられる。
――燃え盛る巨大な研究施設。天を焦がす炎。 ――響き渡る人々の絶叫と、無機質なアラート音。 ――白い研究服を着た人々が、黒い影に次々と薙ぎ倒されていく。 ――そして、知らないはずなのに、心の奥で確かに木霊する悲痛な女性の声。
『カイ、逃げてッ!』
「――う、ぁっ……!」
強烈な頭痛と吐き気に襲われ、カイはその場にうずくまった。冷や汗が噴き出し、呼吸が浅くなる。今の光景は何だ? 幻覚か? まるで、自分がそこにいたかのような、生々しい感覚。記憶の底に沈んでいたはずの、決して開けてはならない扉をこじ開けられたような恐怖が、背筋を駆け上った。
「なんだよ……今の……」
震える手でチップを握りしめ、カイが顔を上げた、その時だった。
ウウウウウウウゥゥゥゥーーーーーッ!
コロニー全域に、けたたましい侵入者警報が鳴り響いた。それは、テラ・ノヴァができて以来、一度も鳴ったことのない、最高レベルの非常事態を告げるサイレンだった。
窓の外で、人々が叫びながら逃げ惑うのが見える。その頭上を、滑るように飛行する漆黒の影。クロノス・インダストリー製の無人戦闘機だ。機体下部のターレットが旋回し、威嚇射撃の閃光がネオン街路を舐める。
ドォン! ドォン! ドォン!
重い軍靴の音が、店の前の通りを埋め尽くしていく。寸分の隙もなく隊列を組んだ、白い装甲に身を包む重武装の兵士たち。彼らのヘルメットのバイザーは、感情のない昆虫の複眼のように、一斉にカイの店に向けられた。
『対象カイ・アストレイア、及び対象物を補足。速やかに確保せよ』
拡声器から響く、合成された冷たい音声。包囲網は、瞬く間に完成していた。
カイは息を呑んだ。全身の血が凍りつくような感覚。彼らが探しているのは、間違いなくこのチップと、それを持ってしまった自分自身だ。
カイ・アストレイアの退屈な日常は、耳をつんざく轟音と、ブラスターの灼熱の光と共に、唐突に、そして暴力的に終わりを告げた。
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